日中


朝に、ゆるい地震。結構長く揺れる。揺れているかどうかは、天井からぶら下ってる室内灯の動きを見るのが一番わかりやすい。揺れてると思っても灯が静止していれば気のせい。けど、それが揺れ始めるのは揺れが始まってずいぶん経ってからで、あれ?と思う瞬間はその何十秒も前だ。何か予感というか、腰のあたりに感じる頼りない不安定さというか、あるいは音。ギシ…という言葉では単純すぎるような、もっとかすかな、ギ…でもわかり易すぎる、もっと本当にかすかな、勘違いや幻覚とほぼ見分けがつかない程度の、イ…くらいの軋みというか唸りのような音が、どっかの何キロか先から届くような気がして、そういうのがまず最初に、あれ?地震かも…と思うときの感じじゃないでしょうか。目覚ましが鳴る前に起きる感じ、とはちょっと違うのだが。曲がり角のところでいやな予感がするなと思ったら会いたくないヤツとばったりみたいな、というのともちょっと違うのだが。ニュースとかでとてつもなく悲劇的な事件を知って、そのことと今自分がここにこうしている事の関係というか無関係さというか、その今ここに在る事実の不思議さというか、今自分がそれを知って今のような気分でいることに何の意味があるのかわからないまま混乱していながら、でもやはりそこに無関係であるということの不思議さ、とでも表現するより他無いような実体があると感じるようなとき、というのともおそらく少し違うのかもしれないが。いやそれはもしかすると少しは関係がある可能性もあるが。地震と、この僕と、もっと遠くの誰かと、そういう事どもの…とか、あるいは今日は全然音楽は聴く気がなくて聴いてないのだが、例えばCDを再生して、フェードインで始まる音楽を聴いているときの、いつ実際に聴こえてくるかというような、関係ないけど地震の揺れが始まるときの感じは、僕はいつもDeepchord Presents Echospaceの「Liumin」を再生させたときの感じを思い出してしまう。ああいう、これから強烈なキックが襲いかかってくる直前の雰囲気。まあでもこのアルバムは東京の色々な駅でフィールドレコーディングされた音のサンプルがやたらといっぱい使われているので聴き進むと地震というよりは単なる東京電車移動みたいな感じになってしまう。というかJRの発車時のメロディ音とか「品川、品川…」とか「蔵前、蔵前です」とか、そういう音声が普通に入ってくるので、電車の中でイヤホンで聴いてると実際外部に聴こえてるアナウンスとほぼ完全に勘違いする。千代田線に乗ってるのにJR的(としか言い様のない既聴感の)音声が聞こえて来るというのは、かなり妙な体験である。…まあそんな事はどうでもいいのだが。今日は一日うちの中で、全身が汗でべたべたと気持ち悪かったけど、だからといって何度もシャワーを浴びてもどうせまたすぐ汗をかくので、夏は汗をかくものだと思ってそのまま過ごすのが正しい。窓を開けていれば、カーテンがふわーっと持ち上がるくらいの風は入ってくる。かなり生暖かいけれども風は風だ。暑いとはいえ、風があるというだけでもずいぶん良いほうだ。