初見


通勤急行渋谷行きの中で「ビル・エヴァンス-ジャズ・ピアニストの肖像-」を読んでいる。分厚くて重い本なので、片手で吊革に掴まり、その腕の上に本を乗せて、もう片方の手で本の片側を抑える。こうしていると本自体の重さは吊革に掴まった腕に掛かるので少しは楽である。


ビル・エヴァンスがピアノを始めたのは六歳半からだそうだ。習い始めて間もなく、譜面を初見で読めるようになり「何が目の前に置かれても簡単に演奏できるようになった。この才能は後に伝説的に語られることになる。家には膨大な楽譜があり、マーチ、ポルカ、歌曲、クラシックのなかから無作為に次々と楽譜を引き出しては、自分の好みに合う曲を選び出していった。
 初見で演奏する能力について説明するのは難しい。生まれつきの才能には個人差があり、滲透性により獲得され、健全な好奇心によって生まれる。きちんと読める者は途中の不備を解決し、フレーズの最後までなんとしてでも到達したい願いにかられる。だから、譜面が読める人々は『練習』という概念を、完璧さへの仕上げに必要な一部分であるにも関わらず、なぜ重要なのかと疑う。エヴァンスは大学の教授たちをセット・スケールやアルペジオの不完全な解釈でいらだたせた。そういった練習方法は若い芸術家の興味を惹かないものだ。確かに彼はよく演奏はした---幼少時代には毎日三時間かそれ以上---しかし、普通とは違う集中の仕方だった。彼曰く、『私が学んだことはすべて、自分が力を生み出す根源となっているように感じながら学んだ。ピアノを楽器として見たことは一回もなく、私にとっては音楽への門口だった』。(中略)後に幼少時代を振り返って、ピアノが重要な位置を占めていたことをエヴァンスは述べている。『初めてピアノを演奏することをどんなに大切と思っていたのかを知ったのは、十歳位に、木登りをして手首を折ってしまった時だった。その時ピアノを演奏できないことを自分が悲しんでいると初めて知ったんだ。一種変わった啓示の受け方だと思う。それまでは当たり前だと思ってたんだ』。」