Michael Jacksonの「Dangerous」を借りてきた。1992年リリース。プロデューサーにTeddy Rileyという、まさに90年代初頭を感じさせてくれるだろうという期待で聴く。


一聴して、これはなんとも、マイケル・ジャクソンということなのか、というか、この異様なわかりやすさは一体なんだろうか。すごく洗練されていて、整理されていて、余計なものが一切なく、無駄もノイズも迷いもない、ものすごく完成度の高い既製品とかなんとかいうと、いかにもありきたりな、マイケル・ジャクソンを聴いた感想。という感じになってしまうが、しかし、そうとしか言いようがないし、かつこれじゃあ面白くないとしか言いようがない。


当時の、二拍目四拍目が異様にバーン!と響く、おそろしく躁的な、たたみかけるような独特のビートで、神経症的に繰り返されるスクラッチ音とかサンプル音がまぶされていて、機械的シーケンス感のやたらとあらわなループで組み上がってるのが当時のR&Bだとおもうけど、そういう下地に支えられていながら、その上で、実に律儀に、そのうえで仕事をしている一人のシンガーがいて、ジャネットジャクソンにせよブラックストリートにせよTLCにせよ、決してこういう雰囲気にはならなかったはずなのだが、マイケル・ジャクソンって人は、どうしてもこうなってしまうというのは、きっとマイケル・ジャクソンって人は、たぶんすごくマジメなヤツで、わざといい加減に歌うとか、ひたすら嬉しくてバカみたいにはしゃぐとか、ちょっとダラシナくして、なんかごちゃごちゃ言われてもいいやと思って開き直るとか、そういうことを一切やってないのじゃないだろうか。とにかくこの「Dangerous」というアルバムは、とにかくひたすら単調で、あまりにも息苦しすぎて、まるでリラックスとか悪ふざけとか、休憩とか、笑いとか、そういう要素のまるでない、きわめて義務的な、終了までは続く制度的な感じにささえられていて、そのことに驚く。


というか、ここまで言うと言いすぎだが、よくこんなのが、あれだけ大ヒットするものだなあと思ってしまう。つまらないとかくだらないとか言いたいのではなくて、やはり凄いものだとは思うが、それでもこういうものが、アレだけ沢山の人々に聴かれるというのが、とてつもなく不思議なことのように感じられる。