西荻窪で、beco talk special 緊急企画 古谷利裕『セザンヌの犬』2012年BECOBES受賞記念 古谷利裕×磯崎憲一郎トークショー!に行く。


たしかにじっさい、作品について作者の言葉を聞くというのは、その作品をいちばんたくさん読んでいる人物の言葉を聞く、という事に他ならないのだと思うが、しかし、だからといって、その作品の核心的な「読みどころ」を聞かせてもらえるわけではないし、ましてやその作品の意図や意味を教えてもらえるわけでもない。たぶん、いくら古谷利裕さんの言葉を聞いても、なぜ「セザンヌの犬」が、あのような感触をたたえているのか?について、それに回答があたえられることはないだろうし、いくら磯崎憲一郎さんの話を聞いても、いまさらながら「恩寵」や「見張りの男」を書いたのが、ほんとうにこの人なのだろうか?という疑問は、拭いがたく生じる。それはたぶん、その人とその作品が、じつは根本的に何のつながりもないのだ、ということを証明する。だからその意味で、作者の言葉を聞く、イコール、回答や隠された謎を探る、ということではなく、共に考える、その仲間のそばに行く、ということで、だとすればもっと気楽に、もっとざくばらんで良いという感じの、今日はまさに、そういう感じのいい感じの会場で、集まった人数もこじんまりとしていた。質問コーナーのときも、話し手と聴き手の境もあまり無く、この雰囲気というか、このこじんまりした感じなら、普通に質問できそうだし、何か聞くことは、と思って考えていたけど、そういうときはなぜか、そういうときに限ってなのか、何も思い浮かばない。それで黙っていたら、磯崎さんから「坂中さんですよね?」と言われて、はい、そうですそうです、となって、あわててうなづく。


日記とか、エッセーとか、伝えることがあるなら、ある程度時間がかからないけど、作品っていうのは、そうじゃないから、一日二行しか進まないこともあるとか、そういうのは話としては、とてもよくわかるのだが、しかし、たしかにそうだが、作品というのは、エッセーや日記のように、伝えたいことがあるわけじゃないというのは、でも、読むほうはエッセーだろうが日記だろうが作品だろうが、平気で何かを読み取ってしまうものだ。僕も、たまたま目にした、まったく普通のエッセーとか、もっとどうでもいいような文章に、何か過剰なものを読み込んでしまうことはよくある。であるなら、そうなると、「作品」だから、制作が異様に進まず、「それ以外」なら進むというのは、なぜなのか。だったら最初から、作品だろうが何だろうが、普通の日記のように書き飛ばすことも可能なのではないか。というか、一日二行しか進まないような文章の存在は、一日二行しか理解できないような難易度を生んでしまい、そうでない文章の存在は、そうではない楽な読みを許容してしまう。もしくは、あるいは、さいしょから作者の制御下で書いて、それがほぼ確実にある射程まで届くことが見込めているなら、ほとんど仕事のようにそこへ到達させてしまうべきで、作品をつくるにあたって、べつに設計図が最初にあるのかないのかは、大した問題ではなく、実際、そのあたりまでクリアに見えてしまえるような透徹した視野をもつ作り手は普通に実在していて、そういう人は当然、作者本人のよろこびは除外して、仕事のように作品をつくり、システムに挿入する。もちろんそのような態度では、根本的なシステムクラッシュを呼び込むことができないにしても、実際にそのようにして、すぐれた作品は書かれているのではないかとも想像する。それはシステムの維持に貢献するとも云えるし、システムへの攻撃に加担したとも云えるだろうが。しかし今更わかりやすい反対運動よりも効果が見込める意味では、闘争の形式としては。


しかし「恩寵」は、上記の話に結局あてはまらない感じがしてしまうのだ。「恩寵」は、結局おもしろかった、そうでもなかった、というどちらかの話でしかない。じつは、おもしろかった、そうでもなかった、というどちらかの話でしかない作品というのは稀で、世の中ほとんどが、それ以外の残滓に色々な場がうまれ雇用を生み出しているのだから。しかし「恩寵」はやはり音楽のように僕には思えて、まるで、ある独自なサウンドスタイルを確立したミュージシャンの突如として豹変した一見保守的にも見えるような正当的スタイルをまとっていながらも、その細部、フレージングや曲はこびは、どう聴いてもその人の曲だよねとしか、云い様のない雰囲気がある。ある意味、そういう雰囲気だけでできているような、通受けする曲でもあるだろうし、また、政治性を前面に打ち出したニューウェイブの音楽家よりもテキサス・メキシコの伝統音楽をベースにしているにも関わらず異様に捻れきったオルタナティブロス・ロボスの方がよほど過激に聴こえてしまうのを思い起こさせる。要するに狙って何かを得ようとはしていない。(そう思わせる感じもあるけど結局尻尾を掴ませない。)・・・今日は、対話中で何十回も「やっぱり絵なんだよ!」という言葉が何度も出てきたけど、それもそうだし、絵でもあるし、音楽じゃないかとも思うのだが、でもどちらでもいいのだが、とりあえず「磐石な過去」としての日本の歴史、過去が描かれてしまう時点で、「恩寵」はとんでもないと思う。江藤淳は「歴史を生かしているのは実現されなかった恨みの集積である。それは「正義」でもなければ「不義」でもない。人間が人間でしかない以上どうすることもできぬある暗い力の所産である。」と書いていて、「恩寵」はそれを、そういう諸々の堆積を、軽々と乗り越えているようにみえる。乗り越えている、という言い方はよくなくて、どっとが良いとか悪いとかではないのだが、でも「恩寵」が歴史を「磐石な過去」と捉えているから可能になり、自由になったことがある。それは歴史が自由になったということでもあり、小説は歴史を描くという一部の理解を、そのまま自由拡張したということでもあり、人が(小説の中の人が、小説を読む人が、この世の人が、みな等しく)自由になったということでもある。それで自由になるということが重要なのではないか。それが目的だとすれば、書き手の態度は、書かれ方は、もっと如何様にでもありえた訳で、そのすぐれた一案だったのではないか。


トーク終盤の質疑コーナーで、質問しようかと思って、ぼやっと浮かんで、今いちまとまらず結局質問しなかったこととしては、「セザンヌの犬」で出てくる作家不在のアトリエに設置されている、幾本かの木柱で構成された構造物は、そういう何かのイメージが最初にあって描かれたものなのか?ということと、そもそも、あの作品が、「セザンヌの犬」ということになったのは、作り始めてどのくらい経ってからなのか?ということの二つだった。とくに二つ目の質問は、最初のインスピレーションを郡司ペギオ幸夫の一文からもらっていて、その登場人物二人のうち片方を「画家」にしようと思った、というところから始まっているというのは話に出てきたが、その「画家」がなぜセザンヌになったのか、最終的に、タイトルにセザンヌという言葉が入ってくるまでになったのは、どのあたりからだったのか。という点だが、しかしいま書いていて思うのは、それはおそらくセザンヌ展が開催されたことに理由があるのだろうし、もしたまたまその時期にセザンヌ展ではなくマティス展を観た記憶が生々しかったら、作品も「マティスの・・・」みたいになったのかもしれず、そりゃそうかもしれないな、とも思い、しかし「セザンヌの犬」が、たたえている感触は、これはとにかく「セザンヌ」という名前が冠されているだけの何かがあり、たぶん他の画家の名前でも良い、というわけではないのかもしれない。だからもし、セザンヌ展が去年だか一昨年だかに開催されなければ、あるいはセザンヌ展で、セザンヌのアトリエ再現みたいなコーナーがなければ、「セザンヌの犬」という作品は存在しなかったのだろうとも思う。・・・いや、いま思ったが、この小説において、我々が共有している「セザンヌ」というイメージは、もはや、あまり重要ではないのか。僕は古谷さんの小説の中では「セザンヌの犬」がいちばん良いとように思っていて、それはご本人も会場で言っていたある種のわかりやすさというか、人に届ける必要があるのだという、その意志が反映されていることの迫力が「セザンヌの犬」を良いものにしているのだと思うが、その届きやすさにに貢献する、「セザンヌ」なる言葉。何か名前がついていればいいだけのことか。べつにこの小説を読んで、セザンヌの絵の「意味」や「意図」がわかるわけではなく、ここにいるセザンヌは、文字通り、小説の登場人物、いや、登場人物とさえいえないような、実際にはその固有名さえ必要とされてないような何かなのだ。確かなことは、セザンヌ展に行ったということだけ。(ほんとうにそれだけだ。それは結構すごい過激だ。セザンヌと犬というが、存在の頼りなさでセザンヌとリンゴが同等な感じだ。空とオレンジに比して。)だからそういう意味では、固有名をもった登場人物が出てきた古谷さんのはじめての小説ということか。そういう固有名をあえて出していくという、そこもまた古谷さんの今回の狙いのひとつということかもしれない。


ちなみに去年(2012年)の古谷さんの書いた文章のなかで僕が一番驚き、かつ、感動したのは6/1東京新聞に載った「大エルミタージュ美術館展に展示されているマティスの「赤い部屋(赤のハーモニー)」について書いた文章」である。こんなに、もの凄いものが、一般の新聞に掲載されていること自体に、大げさでなく体が震えるような思いを感じた。書かれていることは古谷さんが以前から繰り返し問題にしていることの更なる再思考と再出力だが、しかしああして、ああいうかたちの文章になり、それを僕が読んで、それを凄いと思い、たぶん僕だけでなく、その新聞を読んだほかの人のうちからでも、やはりそれを、只事じゃないと思うのではないか。そのくらいのものが、東京新聞に載っていたということで、そのときは東京新聞っていうのは凄い、これはほんとうに、大した新聞社だな、と思った記憶がある。その後の、年末に、さらに発展させるかたちで、レヴィ=ストロースが出てきたところでは、まだしっかりと読めた感じがないので、でもそれでもまた後日再読み込みをしてみるつもりだ。


話はずれてしまうが、自分など省みて思うに、人間やっぱりやる気が大事で、とにかく努力しないとすべて取り逃してしまうので、ひたすら狩猟人とか定置網漁の漁師みたいに、ひたすら網を投げて、網を引いて、網を洗って、また網を投げて、のその繰り返しで、ひたすら働きづめでなければいけないのだが、まあ、みんなゆっくり適当にやった方がいいのだとは思う。どっかで隠れてサボってるというのは、ほんとうに素晴らしいことだとも思い、どこかで隠れてサボっていたときの時間は、傍からは決して見えず、そのままなかったことにできる意味で、やはり目的に向かってがんばって行くというのは、口先だけで言う方が良いのだとも思う。とはいえ、サボっていたら、そのままなのだが、本人はもはや、それでずっとこのままでいいと思っていて、あきらめていて、でもサボっていることの芝居も続けなければいけなくなり、その情熱を燃やすみたいなことにはなったりもする。そういうのはつまらない。自分がつまらないと思っているのに、人がいいと言ってくれるから続けてる、みたいなことの危険さ、というのは、それは要するにサボっていることの芝居を続ける意志なのかなとも思う。日々の努力で、毎日一生懸命サボっているという感じだ。でもそれも、ある意味サラリーマンの大変さもそれっぽいところもある。べつにサボっている訳ではないが、サボるとかがんばるとかは、情況によった、凄く恣意的なことなので、その場の言葉の内実を嗅ぎ取らないといけないのが、サラリーマンなのだ。まあ、そんなことはどうでおいいのだが、サラリーマンは大変なんだという話があったが、ある意味、こうも言えて、サラリーマンも芸術家も、まあ、それなりに楽なのだ。楽だと思えるのは才能ってことか。その才能がない人は、一生、楽できないというか、楽を感じる味覚を、最初からもってないというか。


でもカネはやはり、あれば単なるカネのイメージを見て、忌々しいやつらめと思えるが、カネが無いと、カネというのは実際、首を絞めにかかる真綿になりうるというのが恐いのではないか。カネが一番いやなのは、実体がないのにじわじわと呼吸や心臓を鼓動を止めにかかる力があるということだ。


断定。父は犬であり、あなたも犬である、といったような。こういうのはまさに飛び道具で、「セザンヌの犬」でも「恩寵」でも断定はあるが、「恩寵」が特異に感じられるのは、この断定の力が作品にあまり大きく作用しないところではないかと思われる。断定しているのに、それがあまり大したことではないように作品が進むということ。


古谷利裕さんの小説は、一作目、二作目、三作目と読んできたのに、このブログにはとくに読んだ感想を書いておらず、磯崎さんの連作も、呼んでいるのに書いていないのは、書くことの大変さ、に尻込みしているからであるが、今日こうしてトークショーを聞いていて、お二人がけっこうリラックスしていろいろとざっくばらんに作品の話をしているのを聞いていて、それこそ単なる一読者たる自分も、もっと肩の力を抜いて読んで、書きたければブログに感想を書いて、みたいな、そういうことで、べつに全然かまわないだろう、それで良いのだろうとは思った。どうも自分の場合ここ最近とくに変な力みが多すぎてよろしくない。べつにどうでもいいじゃんか、もっとやりたいようにやればいいのだという、前はたぶんそう思っていて、いろいろ作ったりもしていたのだから、そういう感覚をもう一度思い出したほうがいいのだ。こういう書き方になるとさも今まで自分が萎縮していたみたいな感じの前置きがかくれてる感じになるが、別にまったくそういうことはないのだが、こういう風に書くと、そういう風になるから、だから文を書くのは面倒くさいのだ。別に萎縮はしていないのだが、なんか結局そういうことになってしまって、あとになって、そうそう萎縮していました、とか、自分でも心にもないことをいって相手に合わせるようなことになる。そんなことばっかりだ。それも面白くない。もっとやりたいように、だいたいで、てきとうに行きたいものだ。


西荻窪に来たのはたぶん二十年以上ぶりである。荻窪駅から、歩いてみるか、と言って、線路沿いに歩き始めたら、三、四十分くらいで現地に到着した。西荻窪もなかなか立派な都会だった。前にここに来たのはたしか高校生のときだ。高校生の受験時期まっさかりの頃である。当時、太宰治「斜陽」で主人公のかず子が無理やり上原に会いに行くのが、西荻窪のチドリという店で、それを読んでいた愚かな自分は、西荻窪というのはきっと、もはや、とんでもないような、この世の最果てみたいな、地獄の三丁目みたいな、地獄の黙示録みたいな、成瀬の浮雲に出てくる屋久島みたいな、そういう感じの場所なのかと思って、実際に行ってみたら、ぜんぜん普通だったという、そういう思い出のある場所で、でも今日久々に駅前周辺を見て、前の記憶と全然違っていて、以前ほんとうに西荻に来たことがあるのかどうかさえ、怪しく思えるほどだった。


どうでもいいことだが、この文章でもそうだし、改行はいれるべきかいれないべきかは、いつも考える。このブログの場合、改行は、一行空けにするか二行空けにするか、それも実は地味に悩んでいる。数年前までずっと二行空けにしていて、一時期一行空けにして、最近、ふたたび二行空けにした。どうでもいいのだけど、未だに迷っている。


帰りは、西荻窪で食事、神田で食事、湯島で食事、北千住で食事、いずれも実現せず、けっこう憮然として、家に帰った。まあ、家もいいけど。家が一番、それはたしかにそう。