歩く。最寄り駅を抜けて、さらに、道なりに、どこまで行くのか、地図を見ると、堀切菖蒲園


一時間くらいして、駅周辺まで。さらに、橋を渡って、北千住の柳原を抜けた。桜が、素晴らしい。最寄り駅近辺の、ばっさりと剪定されていて、まったくこじんまりとしていて面白く無くて、それと比較してまったく柳原の桜が樹齢も枝ぶりも見事で、木の歴史も場の歴史もまるで違うことを感じた。


帰って、家でてんぷら。ひたすら揚げては、喰う。飲む。また揚げては、喰う。その繰り返し。夕方から始めて、九時か十時になって、一度外に出る。ボトル二本とワイングラスとお菓子をもって徒歩一分の公園に行く。けっこう人が居る。わいわいざわめいている。ピクニックシートを敷いて、続きを飲む。途端に雨が降ってきた。グラスをもって、桜の下をうろうろした。さくら。白い白い。おびただしい。つみかさなって、おりかさなって、白の上に白がのって、つまりはそういうこと。こうして片手にワイングラスをもったままウロウロしてると、どこかで見たことがあるお笑い芸人みたいなので、結局すぐにシートを畳んで帰宅。


ジャネットジャクソン。1997年の「Got 'Til It's Gone」でジョニ・ミッチェルをサンプリングしたその理由。そんなのはどうでもいい。でも、この深味、何かとてつもない邂逅の残滓、そういう感触こそが大事なのだ。彼女は、ジョニ・ミッチェルに言及した。直接的ではないにせよ、それが重要なのだ。云い過ぎるとすれば、ジョニ・ミッチェルのようなジャネットジャクソンが、いや、ジャネットジャクソンが、まるで今までのジョニ・ミッチェルだったかのような。そんな、そういう想像の余地。そんな可能性、というか、あるいは、もしかしたそうだったかもしれない、ということ。