健康診断の日なので、有給を取った。会社が加入している保険組合の施設がある西新橋に着いたのは朝の八時くらいで、それから午前中いっぱいかけて検診を受けた。検診と最終診断は昼過ぎに終わった。結果は普通で、昨年の三月に受けたときは色々と悪い数値が並んでいてかなり衝撃的だったけど、今回はそんなこともなくてとりあえずほっとした。もちろんこの一年それなりに摂生に務めた結果ではあるが、もし、はじめからそうだとわかっていたら検査なんて受けずに、せっかく有給を取ったのだから、朝から一日遊んでいれば良かった。検査とか試験とか、そういうのは、今日みたいに平凡な結果が出てしまうと、だったらはじめから、やらなければ良かったのに、と、つい思ってしまう。


六月。午前中で用事が終わって、建物を出ると、日差しが明るい。平日の、午後一時半過ぎである。これから、夜になるまではヒマである。


浜離宮公園を目指して歩いた。駅前を通りすぎて、広い道をしばらく行くと、すぐに公園の入口が見える。信号が青に変わって、横断歩道を渡って、入口の守衛所みたいなところで入場料を払うと、よく整備された芝生の、如何にも公園然とした感じで、別に面白くもない。しかし、人が少ないのはいい。


人の少ない場所が、もっと求められているのではないか思うが、そうでもないのか。いつも、なぜ人の少ない店は人気が出ないのか?と不思議に思う。パラドックスではなく、実際、現実として、いつも人の少なくて人気の店というのは、実在すると思う。僕は、まだそういう店にめぐり合ってないのだけど、きっと実在するだろう。というか、良い店というのは、多かれ少なかれ、だいたい、程好く空いてるのではないか。良い店というには、そう簡単に忙しくていっぱいいっぱいな態度など見せないものではないかと思うがどうなのか。その意味で、僕が過去、愛した店は三軒あった。そのうちの二軒は既に潰れた。しかもそのうちの一軒は、僕も従業員の一人だった。だから、いくら空いてても、いくら良い店でも、結局潰れたら話にならないのは、あたりまえだが、では、残りのもう一軒とは、いったいどこか?というと、それを、今これから、ここに書き記すことになる。


人の少ない、人気のある店をぼくは目指して、浜離宮公園に来た。浜離宮公園の中にそんな店はない。それはわかっている。ここから、探すのだ。僕は海から、ここを離れる。


いきなり、後ろから声がして、船が出るからと呼ばれた。あと2、3分で船が出るからと。その場で金を支払う。浅草までだけど、いいの?と言われて、かまいませんと言う。渡された板の上を歩いて、船に乗り込んだ。船内には、機械油とトイレの臭いが充満していた。エンジンが掛かり、船体後尾から激しく水飛沫が上がって、海面が泡立った。船は、浜離宮公園をあとにした。


隅田川のすぐ上に、僕はいる、船のへりに座っていて、僕のすぐ下は、泡立つ川の水だ。真っ白に沸騰しているかのように、泡立ち後方へ流れ去っていく。僕の下半分は、水飛沫に半分以上覆われて消えかかっているように半透明だ。エンジンの音と機械油とトイレの匂いが充満している。


人のいない場所へ。川沿いの左右を見回す。川沿いの、誰もいない店がないか、目をこらす。船はゆらゆらと揺らめき、時折ぐっと傾いて、へりに腰掛けている自分の上半身は、衝撃で仰け反ってほぼ川面と数十センチくらいまで接近する。もう少しで、水の中に顔が浸かって、水の中を見ることになる。水の中を見た場合、人のいない場所へ、おそらく左右を見回す。誰もいない店があるかもしれない。たぶん、目をこらす。