朝起きて、朝食は何を食べようかという話になる。三連休の三回目で、毎朝同じもので飽きてきて、という事だが、そもそも僕は普段は朝、何も食べない、というより、起きてしばらくは何も喉を通らず、お茶などを飲みながらしばらくしないと、口内も消化器系も起動しないので、起きた直後だと空腹の感覚もまったく無いのだが、それでもこういう三連休みたいなときだけは、一応朝起きてすぐ食べる稀な機会となる。で、昨日食べなかったスパゲッティを茹でて食べましょうという事になり、必然的にワイングラスも出てきた。起きてすぐにワインを飲み始めたのは、さすがにはじめてだ。今日は台風で一日買い物にもいけないだろうからと思って、今日の分として残しておいたボトルが朝起きて三十分で無くなってしまった。外は強力な風が吹き付けており、縦笛を思い切り吹いているような鋭い音と、家々の屋根や壁や窓を乱暴に叩き付けるような激しい音が交互に聴こえてくる。


…その後「ポニョはこうして生まれた。」のDVDをひたすら観続ける。午後三時過ぎに、すべてを観終えた。もう、その後は自分の立ち振舞いも仕草も喋りも表情も、この身体全部を、完全に宮崎駿がのり移ってしまったかのような錯覚におちいる。自分がのそのそと歩くと、それがあの映像の後姿にダブってしまう。何か聞かれると、あの言い方で返答したくなってしまう。というか、喋っているときに既に、あの声であのぶつぶつと呟くような声が、頭の中で完全にダブってしまう。それで、あのイメージでため息をつくか、笑って紛らわすか、それしかなくなってしまう。


天候は、比較的落ち着いてきた様子で、すでに台風は通り過ぎたみたいだった。結局また、散歩がてら近所のスーパーまで出かける。酒を買って帰る。帰ってから食事して、それから「崖の上のポニョ」を観る。…僕も妻もこれまでにたぶん三回くらいは観てるはずだし、さっきまで観ていたあの長いドキュメンタリーの中でも細切れにおびただしい数の作品断片を観続けていたはずなのに、こうして一本あらためて観ても、まったく見慣れたものを観ている感じではない。観ている間中、「すごい」と「ひどい」という言葉しか出てこない。これはもう有無を云わせぬとんでもない代物だと、それをあらためて確認した。


義母への贈り物に、何かCDを贈りたいと云って、妻がamazonでCDを選ぶ。それで、僕にも何か選べというが、人に音楽を贈るなんて、かなり難しいというか、それは贈り物としては相当難しいというか、人は人から何の脈絡もなく音楽を贈られても、基本的にまず気に入ってはくれないものではないかとも思うのだが、まあ、古希を迎えようとする人に贈るふさわしい何かと言う名目で、何か適当なものを、と思って考えてみるが、しかしますます、そんなのはまったくわからないので、これはもう、自分勝手に選ぶしかないと思って、それで…というか、その流れで、あまりその流れと無関係に、ふと思いついたのが、フランク・シナトラの1993年に出たアルバムだった。自分の趣味範囲外だったものとして記憶のどこかに引っ掛かっていたもので、当時はじめて聴いたときは、うわ、なんだこりゃと思って、おっさんの聴く音楽だなと思って、まったく自分の理解を越えていて、こういうのを聴いている人間とか、こういうのを喜ぶ環境とか文化とかがこの世にあるのはわかるけど、少なくとも自分にはまったく関係ない世界だろうと思っていたものだが、なんとなくその事を、ふいに思い出して、amazonで検索して二十年ぶりに試聴したら、これがまあ、今聴くとこれは、圧倒的に素晴らしい!…とまで言う気はないにしても、しかしこれは、麗しく、豊かで、あまりにも味わい深く、ふくよかで奥行きのある、ふところの深い、素晴らしき黄金のポップミュージック、という感じで、ああこれでいいじゃん。これを贈りたい、これで充分だ、という気になった。…まあ、音楽を贈るなんていうのは結局は自分の満足感を無理に掴んで投げつけるようなものだから、ここは開き直って、あえて思い切りその気持ちのまま行ってしまう。


DUETS