日本大通り駅の二番出口を出て振り向くと、煌々と横浜スタジアムのナイターの照明が光っているのが見える。その光の強烈さは、思わず光源に吸い寄せられる羽虫の気分がわかるほどだ。野球観戦の経験は、生まれてから今までで一度か二度ある。実家が埼玉なので西武球場(まだ西武ドームではなかった)に行ったのだ。小学生の頃である。誰かに連れて行かれたので、何を観たのか、何が面白かったのか、あるいはつまらなかったのか、今や何も、さっぱりおぼえてない。


僕は今まで、プロ野球に興味を持ったことは一度もなく、したがって何とかスタジアムに行きたいと思ったこともないのだが、最近ちょっと行きたいような気がしなくもない。それはスポーツとしての野球を観戦したいということではなくて、遠くで誰かが何かしているのを、観客席から見たいという、かなりぼやっとした興味というか欲望が芽生えてきたからだ。なんでそんなことを思うようになったかというと、週末に歩いて図書館まで行くとき、途中で千住新橋を渡るのだが、そのとき橋の下は荒川が悠々と流れていて、両岸には芝生と野球場が整備されていて、よく草野球をやっていて、それを上から見下ろしながら歩きながら、もしかしてこの距離感というのは、何とかスタジアムで観客席からプロ野球を見ているのと、スケール的にはあまり変わらないのだろうか?と思ったのがきっかけだった。


よくコンサートなんかでも、東京ドームだとステージ上の人間なんか、豆粒くらいにしか見えないなどと言うけど、それはたしかにそうだが、でも日本武道館という場所は、これもそれなりにでかいけど、あれはあれで、なんというか、ひじょうに程好い距離があり、しかも二階席なんかだと、まさに橋の上から下でやっていることを見下ろしているような感じがあって、ああいう距離感で、照らし出されたステージに立って何かよくわからないことをしているひとりの人間を見ているというのは、たしかにとても面白いことだ。そういう絶妙な距離感でのコンサートもいいだろうし、でもやっぱり野球だ。プロ野球の距離感がどうだったのか、どんな感じだったのかを思い出したい。でも、実際に行ったらすぐ飽きるかな。でも飽きたらすぐに出て、近くの店に行けばいいじゃないか。


でも、僕が毎日働いているオフィスもかなり広くて、あれば一体何平米あるのか、さっぱりわからないけど、端から端まで歩いたら早足でもおそらくニ、三分かかるくらいで、フロア全体でおそらく百五十人かそこらが働いている。そういう場所だと遠くの人はかなり遠くて、一番遠いと見えないくらいである。それも最初のうちはすごいなと思っていたけど、最近はさすがに慣れてしまったが。


見晴らしの良い場所、っていうのはいいね、っていう話はあるなあ、と思うが、それにしても富士山という山は、実際この季節はくっきり見えることは少ないけど、見えたときにいつも、あ、富士山ってこんなに高いのか、と誰もが思うほど、まさに頭一つ突き抜けている。たぶん周りの山が相対的に低すぎるから、あれだけ歴然とした差になってしまっているのだが、それにしても高い。どちらかというと浮かんでいるようなイメージだ。