とつぜんBlurの曲、「Beetlebum」を聴きたくなって、youtubeを探したりした。でもCDで持ってる1997年チベタン・フリーダム・コンサートでのライブ演奏のやつより良いと思える演奏はなかった。ちなみにBeetlebumが入ってるアルバムを持ってないので、駅前の古本屋で見たら500円で売ってたので買ってきた。


この曲。イントロからドラムとベースが何拍か喰って入るところが超かっこいいし、ギターの鳴りもすごくいい。良い曲だ。これは好きだ。Blurの曲のなかではダントツに好きだ。というか、Blurの曲でこの曲以外に好きな曲がない。というか、元々Blurを好きじゃない。でもBeetlebumだけはいい曲である。


blurとかoasisは90年代半ばに、さんざん聴かされたのだ。そういう時代だったので。でも当時のイギリスのポップミュージックなんか全然つまらないと思っていた。radioheadですら、別に大したことない昔の焼き直しっぽいサウンドのグループだと思っていた。Creepとか、そんな騒ぐほどいい曲かね?と。


でもアメリカは良くて、テクノにしろヒップホップにしろR&Bにしろ懐の深さがやはり違った。でも、ジャンル限定してないでとにかく何でも聴かないと全然つまんないのだろうと予測して、やたらと守備範囲を広げるようにしたものだ。CDでリイシューされた60年代や70年代のロック・ミュージックを手当たり次第に聴き漁りながら、音楽雑誌が今月のレコメンドで出す新譜アルバムや当時活躍していたグループの新譜は一応聴いたし、ジャズも手当たり次第に聴いていた感じ。


そういえば、唐突ながらPavementの「Brighten The Corners」は素晴らしい。今でも聴ける。blurもbeetlebumあたりからは、Pavementの影響があるらしい。Blurの「Beetlebum」を聴きたくなったというのはつまりPavementを思い出したかったというだけかもしれない。


で、急に聴きたくなって、昨日久しぶりにPavementを聴いたけど、思ったほどでもないかな。なんか、当時ローファイなどとも呼ばれたギターのヘナチョコ感が、今だと妙に作為的な感じに聴こえるような気がした。でも曲による。曲によってはすごくいい。


かましいギターの音楽を、浴びるように聴きたいなと思うことはたまにあるのだが、なかなかそれに値するだけの曲やグループを思いつかない。


再生プレイヤーは所詮機械でばかなので、ライブラリに入れとけばなんでも再生してしまうが、たまたま80年代の松任谷由美の「VOYAGER」と「DA・DI・DA」がプレイリストに入っていて、ランダムで聴いているとたまに再生されて、これは毎回ちょっと聴いていられなくて、思わず次の曲に飛ばしてしまう。


リマスタリングされた音源ならまた違うのかもしれないが、あまりにもしょぼいバックトラックが悲しすぎる。とくにイヤホンで聴くとダメだ。当時のシンセ機器一台で作りましたみたいな、なんとも薄っぺらい音…(機材系の知識はほぼ無いのであくまでもそんな感じがする、というだけだが。)(でも今これを書きながら聴いてたらそれほどひどくないようにも聴こえる。ボリュームを小さめにすると良いのかも。)


80年代の音だけが、なぜ70年代よりも格段にしょぼくて薄く感じるのか?が不思議な気がする。厚い/薄いというのも、多分に感覚的なものだということだろうか。


しかし松任谷由美も、これが91年の「DAWN PURPLE」になると、かなり聴ける。イントロからいい感じだと思うし、「遠雷」とか、けっこうしみじみ聴いてしまう。


80年代後半、僕は高校生だったが、その当時、何か忘れたけどファッション雑誌を読んでたら、スーツのかたちの、時代ごとの変遷みたいな記事があって、50年代、60年代、70年代、そして今(80年代)という流れで紹介されていたのだが、その記事内では70年代のスーツの形を「もう二度と決してリバイバルすることはない異様なスタイルの時代。時代と密着したもっとも特異な時期だった。」などと紹介されていて、あれから何十年か経って。「80年代よなんだかんだ言って、結局お前が、前代未聞なレベルで一番変だったな。笑」と突っ込みたくなる結果になってしまった。


松任谷由美の、ビブラートを排した、何の装飾も無い、素の歌い方。…唐突だけどコルトレーンのソロみたいだと思ったりもする。あるいは、オノ・ヨーコとか。…ちょっと今の時代では、考えられないような、ありえないような歌手だよなあと思う。


80年代前半当時のテクノロジーを使った、デジタル・リヴァーヴとか、ドラムのバシャーンという音とか、風呂場で歌ってるみたいなボーカルの声処理とか、シンセ・ドラムとか、すごい変なゆらぎと音全体の固まってる感とか、今聴くとまるでインドやジャマイカの音に近いような、ある種の独自文化が生み出した様式のようにさえ聴こえなくもない。でもそれが面白いという訳でもない。


ちなみに、RCサクセションの1990年の実質ラストアルバム『Baby a Go Go』はそれまでの作品に較べても、すごく音がいいというか、音が一番自然、ということで、ラストアルバムで一番最近の時代だからということでもあるだろうが、でもこのアルバムがリリースされた当時は音楽雑誌なんかでは「シンプルで余計な要素を全部削った音」とか「昔の録音みたい」とか、「レイドバックした音」とか、いろいろ書かれていた。


で、今wikipediaを見たら、このアルバムのレコーディングスタッフにレニークラヴィッツのスタッフが参加しているのを知って、なるほどねーと思った。当時の、レニークラヴィッツ的な70年代回帰的なネオ・オールド感。僕にとってレニークラヴィッツの1stと2ndの衝撃はものすごくて、この2枚は90年代に何度聴いたかわからない。たぶん今聴いても、再生後数秒である種の感動をおぼえるだろう。3rdも4thも当時相当聴いた(聴かされた)けど、質としては前2枚の足元にもおよばないと思う。


でも70年代サウンドとか当時から言われたけど、今聴いてもとてもクリアで気持ちいい音で、これこそテクノロジー的洗練じゃないの?と思う。自分にとっては、90年代の始まりはレニークラヴィッツの1stと2ndの感じ。っていうか、シンプルに各音が聴こえてくるのが結局一番良い音に感じてしまうという、ただそれだけの話のような気がする。90年初頭になって70年代的だけど実際70年頃には無理だったような各音一つ一つのクリアさを実現したかたちで、ようやく普通の意味でクオリティのある録音物がうまれた、ということだろうか。


個人的に90年代はいくらでも時間があって、ひたすらだらだらしていたものだが。しかしどうしてあれほど「終わった…」感を感じていたのか。まだ二十代だったのに。


そういえば、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下RHCP)のアルバム「母乳」は88年で「Blood Sugar Sex Magic」は91年である。僕がたしかはじめてRHCPを聴いたのは92年頃に「母乳」を。「Blood Sugar Sex Magic」をはじめて聴いたのは94年頃だと思う。


まず「母乳」のような音楽は当時はじめて聴いた。3曲目のブラスの入り方とか、衝撃的であった。単に躁的で騒がしくて速い、というだけなら、それほど凄いとは思わなかったと思うが、2曲目の解釈や、6曲目の端正な演奏など素晴らしいと思った。まさに真っ当きわまりない、正統派な古典的とさえ言えるようなロックバンドであり、言葉で理解できてはいないものの、最初からそれを強く感じていた。


そして「Blood Sugar Sex Magic」である。こんなに風格のあるアルバムを作ってしまうのか、歴史的とはこういうことか、と思った。これ以上すごいアルバムを作ることはもう無理では?とも思った。Give It Away〜Blood Sugar Sex Magik〜Under The Bridgeへの流れなど、ほとんど文化遺産級であろう。


で、過去のアルバムとかライブ録音の海賊版など聴き漁りながら、早くニューアルバム出ろ出ろと願い続けて、ついに95年「One Hot Minute」リリース。これもじつによく聴いた。聴き過ぎた。Warped〜Aeroplaneの流れは、まさに完全に空の彼方へ飛べるような劇薬であった。アルバム全体の印象は妙に重ったるくて暑苦しい感じだったけど、結局これをいちばん聴いたかもしれない。


そして99年「Californication」リリース。ここで、今までの自分は何だったのか?というくらいぱたっと熱が醒めた。なぜか、どの曲も全然興味をそそられなくて数回聴いただけで終わった。…でも、このアルバムが歴代一番売れてるのか。信じられない。。


まあ、この頃はロックミュージック全般への熱が醒めていて、R&Bばかり聴いていた頃で、タイトル曲(Californication)なんか、えらく中途半端な音に聴こえたものだ。


それで以後、RHCPを聴かなくなる。何年かして、それ以降のアルバムもざっと聴いたりもしたが、やはりあまり面白くはない。良い曲があるのはわかるが。。


そしたらあっというまに、十五年くらい過ぎてしまった…。