大変な過ちを犯したのに、なぜかその責を問われない。いや、一応、かたちとしては問われているのだが、その内実として、自身にほぼ何も影響がない。責が問われているという事実が公けになっていなければ、さすがに世間が許さないし、不自然だし、不条理だ。きっちりとおとしまえをつけるべき、みたいな、そういう言葉に近い動きがあってしかるべきなのだと思われる。しかし、現実どうも、この件はこれ以上何もないようだ。これで、済んでしまったということだ。なぜなのか。カフカの逆のパターンみたいだ。どんなにやらかしても、不思議な力がはたらいて、自分を罰からかばってしまうというのか。それが誰かの立場を救うとか、ある特定のメリットをもたらす、というわけでもない。ただ無意味に、自分が特別扱いされて、いや、特別扱いという言い方も適切ではなくて、まったく特別ではない存在なのに、過ちを犯して、しかし急に、責務の対象から外される。誰かの思惑もないし、目的もない。政治的な要素もなく、得も損もない。気まぐれとか偶然ですらない。ただ、そうなった。そして、この私によって傷つけられ虐げられた被害者だけが、最初から存在している。それは確かだ。そのように書くと、如何にも、ああそういうことか、となって、良心の呵責みたいになって、自分自身が生まれて、それで凌げるようにも思われるが、そういう働きも、一切ない。ということにする。それで、やがてほんとうに、何もなかったことになり、あのときはなぜか、過保護にしてもらったなあという記憶だけがぼんやりと残る。