例えば僕は、もう最近は電車の中では眠いし疲れているし、座席に座りたいと思っていて、坐れば眠ってしまうことがほとんどだが、もしそこへ、身体の不自由な人や、老人や、席に座りたそうな人がそばに来たら、すぐに席をかわってあげられるか、はなはだあやしい。


そういうときに、席をかわってあげられるかどうか、それを可能にするか否かは、端的にゆとりというものだというのが、すごくよくわかるようになってきた。ゆとりがなければ、何をどうしようかなどと、考えるだけの余地を確保できない。その領域が、最初からない。


では、アウシュビッツで、パンを譲ったという有名な話はどうなのか。それもいわば、極限状況において、もう自分は長くないからという、ひとつの境地に達した者だからこそ成し遂げられた行為なのではないかなどとも思うのだけど、こういうことを軽はずみに書くのは、とてもはばかられる。こういうことを、平気で書くこと自体が、なにか取り返しのつかない退廃に浸かっていることだとは思うのだが。


そもそも、なんで急にアウシュビッツなのか、京浜東北線の話でいいじゃないか。京浜東北線で、他人に席を譲りたくありません。僕が、ずっと坐っていたいんです、それでいいわけです。


坐って、すぐに眠って、夢を見ています。あと、何十年かしたら、僕は死ぬじゃないですか。それで、僕の妻が、残されて、一人で老人になって暮らしているとするじゃないですか。その妻が、なぜか朝の京浜東北線に乗っていて、そのときなぜか、来週の朝、僕が出勤して、西日暮里から29分に乗って、それで浜松町あたりでようやく坐れて、それで少しうとうとしかけたあたりで、急に妻が僕の前に立つわけだ。


妻、といっても、そのときの僕には、ただの老人にしか見えない。でも席を譲るに値する感じの外見である。これなら、文句なし。満場一致で、大手を振って席を譲るに値する外見の、見まごう事なき老婆。


でも眠くて眠くて、席を譲りませんでした。僕はその後、4、50分もその席で眠りこけていた。老婆はずっと、僕の前に立っていた。いや、その人はなにしろ、僕の妻ですからね。ずっと僕の前にいますよ。桜木町に着いたので、僕は立ち上がった。老婆がすぐ前にいたのか、ドア脇に避けていたのかわからないけど、やっと空いたのだから、坐ればいいのに、と思ったけど、そのあとどうなったのか、わからない。もしかしたら、そのあとすぐに折り返して、昼前にはまた東京に戻って、日比谷線に乗り換えて、もしかすると南千住あたりに買ったお墓があって、それは僕たちのはじめて買った不動産かもしれなくて、いや、買ってないけど、でもその日は結局、日の高いうちに一人でそこに戻ったのかもしれない。