東京ステーションギャラリーで、「東京駅開業百年記念 東京駅100年の記憶」を観る。百年前に竣工して、ついこの前、元通りに改修したということで、なんというか、このままこの百年が、まったく無かったことになって、すべてが当時のままの元通りの姿に、何もかも復元してしまうのではないかというおそれをいだく。じっさい、百年前と何が違うというのか、ほとんどよくわからない。


イカの活き造りに顔を近づけて見ていると、身から切り離された頭部?と足の付け根のあたりのひとかたまりが、可哀想に、現状を何もわかっていないかのような表情で、おどおどと周りを見回しながら横たわっている感じで、たぶん自分が死んでいるとは夢にも思っておらず、それまでとほとんど変わらないかのように、動く筋肉だけが、従来通りに活発に動いている。足ももぞもぞと動かし、ふたつの眼もまるで何かを見ているかのような視線の力をもつ。そして、皮膚の表面に、粗めの点描で打った点のような反転が密集していて、それらが面白いことに、忙しない頻度で、あらわれたり消えたり、子供だましの人工的な天体図画のように明滅しているのだ。これは、いったい皮膚下のどのような作用によるものなのか不思議である。なにしろ、こんな面白い見た目の動きをするなんて、海の生き物の面白さは常に想像を越えるというか、文化的な枠内において食べるという行為のバリエーションを試すというのは、はっきり言うと人間としては逆行である。