新木場1st RINGで「GLADIATOR81」を観戦。Yさん。判定勝ちおめでとう。


雨と寒さが身体を苛む劣悪な環境下、鈍重な段取りでの入場、通勤電車みたいな混雑情況にほとほとうんざり、疲労困憊する。なんか、もっと格闘技とかだったらボーイスカウトとか地元のややこしい系とかが、そのときだけは毅然と整列運行をつかさどるみたいなそういう行動部隊とかいればいいのに。…って、その感想は最低である。サービスマンがいたほうがいいよね、みたいな発想の困った部分。ふつうにそういうのが駄目でどこにも行かなくなったりするのだ。困ったものである。なんかこういう催しの、若い子がいっぱいいる会場の、場のムードや進行のぐだぐだした感じって、年寄りの自分には相当キツくなってきた。ふつうの音楽のライブとかクラブすらキツい。楽といえば楽なんだろうけど、なんかきつい。若者にとっての東京って、こういう通勤電車的な殺伐とした場で何か凄いものを見る為にひたすら突っ立ってるんだろうな、と想像して、同じような気持ちで黙って立っていたりもした。異常に寒かったけど、ビールをがっと一気に飲んだら冷えたような熱を確保したような妙な感じになって、これはもうまさに、この外との地繋がりな寒々しさは、なかなかのものだと。いやおそらく、演劇とか美術とかであったとしても相当キツいだろうし、なにしろとにかく全体にグデングデンな感じがもう、これは…、遠くをぼんやり見ているばかりだ。もっとみんなファシストならいいのかな。やっぱり、ファシズムかな。若い人はまさにそれかな。もし本気でそれだったらきっと、もう少し入退場もスムースに行くはずだし、きっと、お互いがお互いに気を使うような、もうちょい、いい感じになる。


ほんの一瞬だけ、人間同士で、立って向かい合って、拳で打ち合い、蹴りを入れ合い、寝技で締め合い、それらの駆け引きを睨み合い、それらのなかで、やはり何かの、ものすごい運動というのが、ごくたまに目の前にあらわれることはある。


1Round 5分を2セット。その間のどこかで、今、何かが動いたと思える瞬間が、ほんの一瞬だけある。そのあとから、運命が滝のように流れて決まる。負ける相手はどこまでも崩落していく。一切の言い訳が許されない状況下で、ほとんど仮の死を与えられる。拳は肉体を打つが、音を上げるのは肉ではなくて、むしろ肉体が忘却の方へ離れていきそうになって、傍の関係者が止める。


負けるのも凄いが、勝つのも凄い。しかし真に凄いのはそれが決ま直前のところだ。今、何かが動いたと思える瞬間。人間ではなく何か金属のようなものの感触と匂いがするとき。緞帳のように人間の視界にも四方に幕が下りているとして、でもそれが一瞬めくれて何か得体の知れぬものが見える瞬間。その異なるスピード。直後にどかーんと顔面がへこんだようになって、人間の世界に戻ってきて、一人の人間がのしかかられてタコ殴りに殴られている。まるで巨大な青魚を解体したかのような濃い鮮血が飛び散る。みんな、血が出過ぎだ。みんな、肌が白い。男も女も、肌はまるで豆腐のように白い。まったく、あのような柔らかさで…。


観戦途中、何試合か前の出場選手が、すたすたと観客席に来て、自分の隣の人たちと話し始めた。いやあ、すいませんでした。ほんとうにありがとう。あのときはこうでした。ああでした。いやー、くやしいですね。なんか、はい。いや、まだまだ練習です。はい。すいません。ほんとにありがとうござました。凄くおとなしい、落ち着いた喋り方。というか内気で自分の中にしっかりと経由して口に出すような言い方。これが本当にさっきまでリング上にいた選手だろうか?と思ってみたら、確かにさっきの人だ。ぼこぼこにされて判定負けした人だ。しかし、なんと物静かな佇まいでしょうか。友人?たちとの距離のぎこちなさもあり、なんだかまるで、ギャラリーのグループ展みたいな催しで、作品を出品している人が来場者と話しているみたい。いやまさに、目をつぶって話だけ聞いてたら、ほんとうにそう聴こえるのではないか。わー、なんだろうこれ、と思って、しばらくじっとして聞き耳を立てていた。