Andy Summers


ライブ盤の「ポリス・ライヴ」は結局、アンディ・サマーズのギターが目を覚まさせるような鮮烈なものだったから、僕はこれだけくりかえし聴いているのだろう。一曲目のNext to You が有無を言わせぬ素晴らしさ。良いのだ。人間がギターを弾いてるっていうのは、アンプからデカイ音が出てるっていうのは、実に素晴らしいものだとあらためて感じさせてくれる。


しかし、ポリスというバンドは、デビューアルバムから「白いレガッタ」へ、いきなりジャンプしているというところが、まずもの凄いことだ。そんなことが可能なのか?と思うくらいだ。レゲエを取り入れた、と一言でいうのは簡単だが、よくもまあ、そんな風に仕上げたものだね、と驚嘆するしかないのが「白いレガッタ」である。これ、ポリスのメンバーたちは自分で自分たちの作ったものに驚かなかったのだろうか?それとも、凄いものが出来てしまうというのは、その内側にいるうちは、何も見えず何もわからないまま、がむしゃらに作ってるだけなのだろうか。まあ、そうなのだろうな。


先々週だったか先週だったか忘れたけど、「ポリス/サヴァイヴィング・ザ・ポリス」という、アンディ・サマーズが観たポリス時代を回想するドキュメンタリーのDVDを観たのだが、これはちょっと期待はずれな内容だった。自分にとって、アンディ・サマーズはかなり素晴らしいギタリストということになっているのだけれど、この作品内で本人はスティングと較べたら自分は凡庸です。みたいな感じを当然の如く肯定しているように見えてしまう。実際スティングは比較を絶して凄いミュージシャンだというのはわかるが、でもMessage in a Bottle だのBring on the NightだのSynchronicity IIだの、それらポリスの全楽曲のギターは、アンディ・サマーズじゃないか。あのギターのフレーズやらリフやらソロパートまで、すべてスティングが考えてああしろこう弾けと指示してるんなら、それはたしかにアンディ・サマーズもへりくだるだろうけど、そうじゃないなら、全然凄いと思うのだが。というか、それらの曲のギターはちょっとそれまでの時代では考えられなかったような、そしてそれ以降は一気に世の中に浸透していったような、そういう画期的な新しさがあったじゃないか。


などと思って、自分が製作総指揮の映画なんだから、別にみっともなくても良いから自分語りしなさいよ、下らない写真の展覧会みたいなことやってないでさ。とか思ってしまうのだが、でもまあそれはともかく、ポリス以前のアンディ・サマーズのキャリアがけっこう凄くて驚いた。ウィキペディアにも出てるけど、ジャズバンドでデビューして、そのあとサイケリデックバンドで、そのあとソフトマシーンに加入(!)、そのあとアニマルズにも入ってる(!)。いわば70年代までのサウンドはだいたい経験済みみたいな超ベテランで、それがポリスに加入することになって、当時流行りのパンク的意匠でデビューという流れ。


スティングにとってのレゲエ、という部分と、スチュワート・コープランドにとってのレゲエ、という部分と、アンディ・サマーズにとってのレゲエ、という部分が、当然少しずつずれている。三者が三様にレゲエと聴いていて、それを解釈した結果を演奏に出す。ポリスの面白さにまずそれが大きく、とくにアンディ・サマーズのギターはまさに見事な複数要素の融合のあと、という感じで、おそらくアンディ・サマーズにとっては最初パンクもレゲエも異物のようなもので、しかしそれと自分とを、常識というか人として抵抗を感じてしまうような不可侵域まであえて混ぜ合わせてしまうことで、つまり自分のそれまでを守ろうとする部分をしっかりとオミットして、あのおそらく当時は誰もが聴いたことの無かったようなスタイルを作り上げたはず。


あとは、同考えても名曲としか思えないのはSynchronicity IIだ。これ、本当にこの曲考えたやつは天才だ。曲の進行を支えるこのギターは、ほんとうにそう。