千葉の人


Aの家に集まる。千葉郊外。待ち合わせ場所の駅前がすごく静かで、店舗もまばらで、人の気配もなく、ロータリーに面した角の一等地も空き家で、なかなかの寂れ具合だ。ほんとうに何もなく、コンビニに寄るか牛丼屋に寄るしかないという雰囲気だ。一本の広い道が遠くまで走っている両側にはまばらにファミレスやドラッグストアの看板が点在している。ただいつ見ても思うけど、美容院という業態だけは、これだけは都心も郊外も変わらないというか、どれだけ周囲が寂れていても、美容院だけは我関せずの態度で営業しているように見える。実際不思議に思うのだけれども、回りが寂れまくっているのに、美容院だけが都内にある店舗と同じような、まったく同じようなネーミングセンスと外装センスと内装インテリア関連までも含めて同センスの、たぶん同コストパフォーマンスで同価値基準な、まさに揺ぎ無く如何にもな雰囲気を醸し出しつつ元気に営業しているように見えるのはいったい何なのか。美容院の、あのビルのテナントスペースに壁からドアから窓から、なんか如何にもそれらしい感じに作る方式というか、ああいう施工様式というのは、きっとおそらく昔から確固たる確立された何かがあって、効率的で短納期でさっと仕上がるすばらしいプロセスがきっとあるのだろうと思う。郊外において実感させられる、美容院業界の体力というもの。そのメカニズム。ちょっと待ってくれ、まったく何も知らないのにそこまで当てずっぽうに書くものだろうか。


国道356線と、その周辺。道の古さ。ひび割れたアスファルト。曲がりくねる狭い一車線。家々の古さ。歩道を歩く老人。川沿い。土手の勾配。家々、想像した広がりの外側に存在する人々の、その住まいと家族と自家用車。薄型テレビとPS4のリモコン。電車の踏み切り。新興住宅地。中学校のフェンスの緑色の網。錆びたシャッターの商店街。絵の具がこぼれたような彼岸花の赤色と斜面にへばりつくような墓地と、木々と雑木林。見渡す限りの田畑、その向こうの山々。誰もいないようにも見えるけど、さばくの真ん中に忽然とそびえるかのような巨大ショッピングセンターと周辺施設と駐車場と整備予定の空き地からなる広大な領域の広がり。まるでバチカン市国みたいな、城壁に囲まれた国家内国家のような、しかも領域内に入ればどこも黒山の人だかり。


千葉である。人が、屋根の下にはぎっしりで、田畑のひろがる夕日の下には誰もいない。静かな場所でも油断ならない。