パクチー


柴崎友香の「よう知らんけど日記。」(https://lmaga.jp/series.php?id=9)を読んで、アスパラでおしっこのにおいがどうなるのかは知らないけど、アスパラの茹で汁がそれだけで飲んでもすごく美味しいというのは知っている。というか、茹でると飲む。…こういう流れで書くと(アスパラ、おしっこ、茹で汁、飲む)、とても気持ち悪いけど、しょうがない。アスパラもそうだし、パクチーもそうだが、まさに味覚というのは信じられないくらい人によって違う。私が感じているこの味を、同じものを食べている目の前の人は「そのように」感じていない、というのが現実なのだ。ちなみに僕は、パクチーはやや苦手である。しかし、たまに食べると「これは美味いかも」と思うこともある。しかし、たとえば仕事から帰ってきたらいきなり食卓にパクチーが山盛りのアジアン料理があったら、さすがに「エー・・・」とは思うだろう。たぶん僕がパクチーを「これは美味いかも」と思うときは、パクチーを美味いと感じる世界があるのだというのを想像的に補っているときだ。それを美味いという人(具体的にその人の顔が思い浮かぶ。パクチーだけ別皿で食べると幸せだとか言う人だ。)を思い浮かべて、そのときだけあえて、その人になりきっているようなときにかぎられる。じっさい、僕は「世間の一部の人はパクチーの味を"金属のような"、"合成樹脂のような"味に感じているらしい」とか言われている人の一員だと思う。というか、パクチーにそれ以外の何らかの旨味というか味わいがあるとはとても思えない。あの口腔内に広がる異様な違和感みたいなものを「それが大人になったら美味しくなる」みたいに、皆は感じていたのではなかったのか?じつはもっと、美味しく感じていたのか?ていうか、つまりどういう味なの?・・・というのが、本気でわからない。