新宿・駒場・ハウル


新宿ピカデリーで「黒衣の刺客」を観る。ホウ・シャオシェンを観るのが超久々だったのと、殺し屋の話だというので、いったいどんな映画?と思っていたが、はじまってみたらまさにホウ・シャオシェンで、これはもう僕としては、始まって五分くらいですっかり嬉しくなってしまい、後は、酒を飲み味わっているような気分で、ひたすらスクリーンを観続けているだけという状態。これはいいわ。この映画の真の主人公は景色ですと言っても良いくらい、信じられないようなキレイな景色がいっぱい出てきて、これはほんとうに実在する場所なのだろうか?と思うようなシーンもいっぱいあって、超デラックスな旅番組みたいな感じもあるのだが、しかし各登場人物のそれぞれ、人間というひとかたまりの全部が、広大な風景の中の、それぞれのほんの小さな何かとして点在してるのを、非人間的な意識が俯瞰しているような、あの独特の感じがすごく良いのだ。ちなみにストーリーはとても把握しがたいというか、誰と誰がどうだからこうなった、みたいな説明を後からするのはけっこう大変だが、僕はもう途中から細かいことはあまり追いかけなくて、ただ画面観ているだけで充分という感じだった。というか、ストーリーは把握しがたいが、なんとなくこれはものすごくよくあるタイプの揉め事というか人同士でワイワイとやるヤツなんだからそういうものと思っていれば良いという感じ。終りのほうなど僕には西部劇的な感じにも思えてきて、ますます良くて、というかこれはちょっと、できればまだ終わらないでほしいと思いながら観ていた。妻夫木聡もすごくいい役で出ていて、かなり良かった。


東北沢で下車してコスモスレーンスタジオアンドギャラリー 「When I close my eyes 目を閉じて作品を作る」を観る。永瀬恭一さんの作品。目を瞑ったまま、マネの絵の印刷図版を見た記憶に頼ってそのイメージを描く、それを何度もくりかえした数十枚におよぶ連作として展示されている。開始から記憶が薄れていくまでの過程で、出てくる図像の部分的ないろいろな変容ががあらわれていて、とのお話を会場にいた方が教えて下さった。途中で記憶から浮上してきたものが、ふいにあらわれたり消えたりする、気まぐれであてのない、人の記憶装置の減衰過程をモニタリングしているかのような感じでとても面白かった。


駒場公園を少し散歩する。とてもいい公園。近いうちに再訪するだろう。しかし今日は天候としてはもっとも良かったと言える。最近、日差しを浴び続けると妙に疲労してしまうことが多いのだが、今日はかなり快適な光と空気温で、まるでさわやかな水の中を歩いているような感じだった。しかし唐突に花粉症の症状が…。


妻が昨日たまたまテレビで見たら思いのほか良かったと言う話を聞いてたら、それだったら僕も観たいと思って、「ハウルの動く城」をDVDで観る。はじまって一分か二分で、いきなりハウルが出てきて、いきなり空を飛ぶのだ。この映画は、はじめて観た時は僕はところどころで、ほとんど画面内をカカシが跳ねてるだけで簡単にぼろぼろ泣いてしまうほどだった気がする。このオープニングはいいし、このソフィーという、如何にも共感を呼びそうな、全力で感情移入したくなるような主人公の女の子がまたいいのだ。しかも老婆になったり、元に戻っても髪だけは真っ白だったり、髪を切られちゃったり、それでも何があろうと毅然として、母親のように、しかし女としてハウルを愛する。声は倍賞さくらである。いや、間違った。倍賞千恵子である。でも、ソフィーはまるで、さくらではないか。ハウルを「お兄ちゃん!」と呼んでもいいぞ。ハウルの世界では、魔法もあるし呪いもあるが、それらより強い力として政府とか国家があって戦争もある。魔法や呪いの力は戦争より非力で、それどころか魔法使いもちゃんと戦争に参加することが良しとされている。だからハウルみたいな子は愛する対象が見つかったら俄然はりきって戦争に行ってしまうので、ソフィーとして弱虫のままでいて!と言って、でも自分は何が何でもハウルを助けたいので、なんだかわけのわかんない行動で強引にハウルのそばまで行くのだ。ラストはちょっと簡単に終わりすぎな感じ。「この馬鹿げた戦争を終わらせましょう」なんていうセリフ一つで終われるのかと思ってしまう。


ちなみに「黒衣の刺客」はラストも最高だ。去っていく一行の姿をひたすら捉え続けるカメラ。ほんの一片だけの叙情。というか、叙事と叙情の区別のない世界だ。