竹橋で


東京国立近代美術館恩地孝四郎展。かたち。すなわち、いったん遅れてやってきたモノたち。一つ一つが、まるで孤児のようだ。僕はもう、人間をやめたいというか、人間の良いとか悪いとかは、もういいよと言いたくなる。人間のワサワサした場所の問題じゃないし、人間の仕業と考える必然性もないのだから、ここは完全に、モノの一員としてつつましく、なるべく借りてきた猫のように静かにおとなしくしていたい。


堂本尚郎の絵が、きょうはなかなか良かった。山川秀峰とか鏑木清方など、戦前の日本画は、完全に人間の世界の問題。人間をやめてしまうと、観てもまったく意味がない。じつはすでに現時点で、ほぼ意味がないに等しいのだが、そこがむしろいい。いつも僕はそうだ。これらのかつては成立していた、その場の空気というか、息遣いのようなものを観ようとしている、というよりは、嗅ごうとしている。誰かの過去を降霊術のようにわが身に呼び起こそうとしている。