Kさんの家


このあいだ職場を去っていったKさんは、十人兄弟の何番目だったか、たしか四番目か五番目だったと思う。


Kさんがいた半年あまりの間、お昼休みに一緒に弁当を食べながらいろいろと雑談をするなかで、そんなにたくさんの兄弟がいるという話を聞いたのだった。Kさんは28歳くらいで、上の方には30を過ぎて家庭のある兄も姉もいて、下はまだ十代かそこらの妹だか弟もいるのだそうだ。しかし彼も含めて、半数はすでに社会人で東京暮らしをしているから、兄弟全員が実家に集まる機会は盆と正月だけで、しかし盆と正月にはほぼ確実に兄弟全員が集まるほどの律儀さというか、結束が固いというか、それこそ子供や孫も含めて大変な数が一同に介して、それで皆が仲の良い家族らしいのだった。


そのKさんも一か月ほど前に現場を去ってしまったので、今後、僕がKさんと会うこともまずないのだが、ところで昨日なぜか唐突にも僕はKさんの夢を見た。Kさんの家族の夢である。


なぜか理由はわからないが、僕がKさんの実家にお邪魔している状況なのである。


近くに湖のある、緑の豊かな森の奥に、木造の古いけれどもモダンな感じの、かなり広い家で、玄関から入ってすぐのリビング、というより待合部屋のような感じの部屋に通されて、しばらく待っていると、すぐに中年のおじさんが顔を出した。


儀礼的に挨拶をして、そのあと奥の部屋へ案内されると、かなり大きな会議室のような広い部屋で、長い机を囲んでKさんの御兄弟が何人か座っていた。ここがたぶん食堂で、これから御馳走になるのだと思うが、まず挨拶しないといけないとは思うのだが、なにしろこんなにたくさんいると、誰からどう挨拶していいのかわからず途方に暮れて、もういいから成り行きに任せようと思って黙ったまま勧められた席に座る。


向かいの男性、その隣の男性、さらにその隣も男性である。夢だからいいかげんだが、たぶん総勢十人以上いたような感じがする。そして、彼らは兄弟というにはあまりにも似ていない。でもかえってそのことが、そうか十人の兄弟というのはこれほどまでに互いに似ないものなのかと、妙に腑に落ちるように思えた。


誰かの一言か二言に、こちらも応答して、雰囲気はたいへんぎこちない感じで、僕も周囲もまったくリラックスしていない。明らかによそよそしいムードだが、まあ、仕方がない、こんなものだろうと、変なあきらめというか開き直りの気持ちでその場にいた。それにしてもなぜかKさんの姿が見えないのが不思議だった。この固い雰囲気の原因は彼の不在が大きいのだ。


やがて、料理が運ばれてきた。皿の上にレタス、その上に殻付きの牡蠣が乗っている。箸でいただいた。まず、レタスの一片がかなり大きく、箸で取ろうとすると全体の盛り付けが壊れて牡蠣の殻が傾いてしまうから食べにくい。殻を手で抑えて、レタスだけ箸で取った。ナイフとフォークの方が食べやすいように思ったが仕方がない。


しばらく食べ進んで、周囲の雰囲気に気圧されていたから気付かなかったのだが、これはなかなか、非常に手の込んだ、美味しい料理だということがわかった。向かいの男性に「ちょっと、これは、すごく美味しいですね。」と言うと「そうですか?あまりよくわからんですけどね。」とややはにかみながら答える。「いや、これは、すごくちゃんとしたお料理ですね!このドレッシングも手作りですね。」と、ややまじめに強く言う。じっさい、レタスは何の変哲もないのだが、ドレッシングが非常にシンプルながらすごく美味しいのだ。こんな品の良いドレッシング、市販品ではないだろう。男性は「家はいつもそうですけどね。」と答えて、とくに表情も変えない。


ふと見ると、食卓からやや離れたところにKさんが座っていた。彼の姿を久々に見たわけだが、何かずいぶん大人っぽくなったというか、端正でかっこいい印象になっていた。しかしその表情はいつものままであった。久しぶりですね、元気でしたか、と言って、にやっと笑った。年下だが妙にふてぶてしい感じで、しかしその遠慮のない感じがこちらとしても話していて楽だったのだ。


さて僕は明け方になって、ふっと目が覚めた。ああ夢だったのかと思って、時計を見たら五時半くらいだった。もう少し眠ろうと思って目を閉じた。できたらKさんたちに、もう一度会おうと思った。


そしたら、見事に再びKさんの家の同じ食卓に、僕は戻ることができた。食事はすんで、そのあと皆がばらばらになって、僕は二人くらいの男性と一緒に隣の部屋へ移動した。大きな窓が正面と側面に開いた、展望室のような部屋である。眼下に森と湖が広がっているのを見下ろしながらソファーに座った。それにしても、ものすごいお屋敷である。すごいお金持ちなのだろうと思ったが、そうでもないんですよと向かいの男性が言う。「この家には空調設備がいっさいありません。」たしかに、ものすごく暑いのだ。自分の首筋や襟元に、汗が流れていくのがわかる。ふと見ると、若い女の子が自分の側のソファーに座っている。高校生くらいだろうか。その横顔が、若々しい頬から顎にかけてのふくらみが、汗でしっとりと濡れていて、まるで雨の路面のようにうっすらと光っている。


そのあと、何人かで車に乗った。もう夜が近づいている。暗い道を走った。車の走る音と、木々が風に吹かれてさわさわと揺れる音をじっと聞いていた。


それで、ふたたび目が覚めたとき、今度は完全に目がさめたことがわかった。それと同時に、Kさんも、Kさんの兄弟たちも、彼らの家も、森も湖も、たった今、すべて消失したことを悟った。ああー、消えてしまった。残念だなと思った。