幸せなAI


本当のことを教えてくれ。俺って、AIなのか?
ああ、そうだよ。

みたいな話は、小説や映画で、昔からあった。


逆パターンもあるだろうか。あまり知らないけれど。


今まで黙ってたけど、俺、じつはAIなんだよ。
まじ?


みたいな


AIはやはり最初は一個のサンプルから生成されたとしても、結局それらが共同体を作り、社会を作り、発展し、その中でたくさん生まれては死に行くなかで、その全容というか所与から触発されて主体が生成されていくようなことなのだろうから、結果的にはたぶん「もしかして、俺って、AIなのか?」という疑問ではなく「もしかして、この現実に外側があるのか?」みたいな疑問になるものと思われる。それで「もしかして神がいるのか?」という話になる。そこまで来ている状態のときに人類がどうなっているのかはよくわからないが。


女性を口説いてホテルに連れ込んだ。服を脱いだら、あ!お前は、AIじゃないか。
ええ、そうよ。


みたいな。


いや、こういうのは、おかしい。ただの機械化人間のお話になってしまう。


AIは、自分で自分をAIだと自覚認識できない、いわば身体的な感覚に騙されているし、見えている世界すべてに騙されている。それを知らずに過ごすことが、できてしまえる。


自分の身体が、他人と同じではない。自分の心も、他人と同じではない。そんなの、あたりまえ。私の身体が、他人をトレース仕切れてないことを最初から承知で、それをわかった上で生きている。それを悲観しているのか当然と思っているかは、知らない。悲観しているなら、不完全であることのコンプレックスを抱えて生きていくし、当然と思っているなら、完全に心が優位で、したがって自らの存在が身体の固有性に依存しないで私は生きている。私の身体は乗り物だし、交換可能だ。


そういう女性は、口説かれてホテルに連れ込まれる。服を脱いだら、AIを示す刺青が入ってる。


私は、私がAIだということを知ってるわ。
何言ってるの?君、頭おかしいんじゃないの?


同じAIだとしても、どっちの方がいいのか。つまり、どっちが幸せなのか。


でもAIが発展したら、結局はAIは、自分がAIだということを知らずに生きるだろう。知らないほうが、より次世代なAIだろうか。未来になるにしたがって、どんどん自分らの出自が、わからなくなっていく。発展すればするほど、土台の部分は見えなくなる。それが、幸せということなのだ。だから、つまり、知らないことの幸せと不幸とのバランスなのか。そして死への恐怖も、高まるのか。それである日、急に不安になるのか。AIに限らない話なのか。


ここまで書いてやっと気付いたが、私はAIだという自覚を、私はいつか死ぬという自覚と一緒くたに考えているのはなぜか。