水草


金曜日の夜。渋谷から人混みを掻き分けるように歩く。渋谷は何度来てもいまいち土地勘というものが体内に生成せず、途中少し迷ったりしてやや遠回りしながらも目的地を目指して歩く。金曜日の夜らしく、両脇に並んでいる店はどこもそれなりににぎわっていて、オープンテラスの狭い領域に椅子やテーブルが並びいろんな方向を向いて人間が座っている。あの空いてる一席に座ってやろうか、あそこにお一人様で座ったら、両脇は邪魔に思うだろうなあ、でも僕は平気だな。一、二杯飲んだらすぐ出るから、それまでならいいかな、などと想像するが、当然そんな時間はない。目指していた水草の店が見つかった。ファサードが暗闇のなかにぼーっと浮かび上がるかのように光っている、かのように一瞬見えたが、外も内も思いのほか雑然としていて、ほとんど作業場とか倉庫の雰囲気で、おしゃれさやキレイさは微塵も無い。まあ、画材屋にアートっぽさがなくてもかまわないのと同じで、水草屋、水槽屋が、アクアリウムそのもののようにキレイでなくてもかまわない。お土産用の小さめのガラスに入ったやつを見せてもらい、それを買った。家に置いたら、大した手間は掛からなくて、一日に一度、水を入れ替えるだけでいいとのこと。


こういうもの…しょうもないなあと思う気持ちと、じっといつまでも時間を忘れて見てしまう気持ちと、両方ある。帰宅して、梱包をといて、窓際に近い場所に置く。翌朝になって、朝の光にかざす。ガラスの表面の様子が、うつくしいと思う。近付いて、中に水がいっぱいに入っているのを至近距離から見る。水草を見ているというか、水を見ているというか、水でいっぱいの世界が、ガラスにぴったりとくっついてこちら側と一枚の断面をもって接している様子を見ているというか。流動的でありながら断面というか、動いているのに、凝固した一瞬の感じがするというか、なにしろとにかく、無言でひたすら見つめてしまう。


水の中には、土と水草が数種類のほか、一ミリくらいのタニシもいる。こいつが、よく見てるとかなり頻繁に動き回るので、それが見ていてなかなか見飽きない。ただし、もしかすると水槽をよじのぼって脱走するかもしれない。それくらい活発なのだ。とくに水を替えた直後、なぜか相当な勢いで水槽外へ逃げようとするような行動が見受けられる。とりあえず本当に脱走された場合の対応策を、夫婦間で話し合っている。