反復


蓮實 重彦「帝国の陰謀」を読む。「まず悲劇として演じられたものが、後に『笑劇』として再演されるというヘーゲル的な歴史観では到底統御しがたい」事態の到来。「一度目に悲劇として演じられたものの二度目であるが故の退屈な再現ではなく、まだ上演されてさえいない作品を、それが書かれるよりも正確に十年前にあらかじめ実演してしまったものなのだ。つまり『シューフルーリ氏、今夜は在宅』が一八五一年十一二月二日のクーデタを再現しているのではなく、むしろ、クーデタのほうがその筋書きを忠実になぞることで成功したのだという事態の逆転ぶりこそがここでの『反復』の実態なのである。」


「それこそまさに、オペレッタの時代にふさわしいいかがわしくも軽薄な、だが執拗に維持される権力の支配形態」の「…シニカルな歴史性ともいうべき現実が、ある時期から、この世界にはまぎれもなく存在し始めたのである。事実、曖昧で希薄であるがゆえに『私生児』的なものと思われがちなこの現実を無視することこそが、歴史そのものを抽象化しかねない時代が、フランスの『第二帝政期』とともに始まっている。」


なるほどですなあ。そして一八六一年、二十九才のマネがサロンに初入選しているという…。