姦声

幸田文「黒い裾」収録の「姦声」を読む。嫁ぎ先の酒屋問屋で、店に出入りするたくさんの商人や職人の中にひとりトラックの運転手がいて、主人公はその男の声色から外見から態度からすべてを嫌っている、それはほとんど生理的嫌悪に近いほどで、しかしそれを知ってか知らずか男からは色々としつこくされ、その都度きっぱり無視または拒否し続けているが、最後は酔っ払った相手に襲われそうになるのを必死で抵抗するという話で、何か頑なで一貫した、ぴんと張り詰めたものだけで出来ている小説で、下町らしい威勢と歯切れの良さ…と言ってしまうとそれ風な(落語の江戸ことばみたいな)感じに聴こえるかもしれないが、そうではなくてたしかに東京下町的とは言えるが、それよりも幸田文的な登場人物に固有の感覚つまりある程度理屈理詰めで周囲の状況判断をして自分を計り物事を決めていくときの、冷静というよりも正確さと合理を重視する、そんな自分を信じて自分自身を操ろうとするような、そんな感覚が全体を支配していて、忌避感とか嫌悪感とか暴力への抵抗といった普通理屈ではのみこめないものが主題になっているのに、それを説明するやり方は徹底してそんな自分のセオリーに基づいている。最後の狼藉場面の描き出し方、自分の身体とそれを覆う着物と帯の様子や相手の様子など、ばたばたと激しくおぞましくもあり危機的状況なのにきわめて冷静な描写、根底にてこでも動かないような硬い拒否というか遮断の対処が実施されているだけで、その遂行の心は微塵も揺るがず、けしてあきらめず、全体に何の救いもないし誰の改心も後悔も反省もない、ただの自然現象のスケッチといった感じで、男が男を主人公にしてとことんカッコよく描くのと同じで、幸田文も自分の分身のような主人公を毅然とした姿のままに定着させた。亭主が帰ってきたため未遂に終わって、最後まで抵抗を続けた本人の着物の乱れ方、ぼろぼろな体をあらわして「こま結びというものは絶対に強い。著物も襦袢も肌著もこの二本の愛すべき赤い小紐によって、辛うじて身のまわりに束られていた。束ねられてなまじ身体に纏いついているだけに、全裸よりももっとすさまじい姿なのである。」おそろしく沈着に自分の着物の乱れ方を書き上げて、細部の描写の輝き方そのものだけで成り立った世界といった感じで、ほとんど息を呑む思いだ。途切れてしまったようなあっけない終わり方もすばらしい。