拡散

赤い靴のことなんか書いたからかもしれないが、先日から右目が結膜下出血を起こした。約一年半ぶり。ほっとけば治るだろうから放置するけど、見た目がやけに派手というかグロいので、人に顔を見られるたびに「あ!その目、どうしたの!??」と聞かれて一々答えなければいけないのが面倒くさい。この症状で一番つらいのはそのことだ。


岡崎乾二郎へのインタビュー(vhttps://www.cinra.net/interview/201809-okazakikenjiro)。横尾忠則湯村輝彦、あるいは安西水丸による民画・ポップアートの展開→日比野克彦へとか、有元利夫の仕事→やがて舟越桂が受容される場へだとか、辰野登恵子=ブライアン・イーノ説とか、岡崎乾二郎の得意技「トリビア雑学」はやたらと面白い。「このフレーズは誰それの影響」的なやり取りが、音楽ファンの間では普通にされているのだから、美術作品でも大雑把な一般論ばかりに終始するのではなく「その部分」に対して解像度上げてひたすら細かく見るべきであるというのは、ほんとうにその通りで、オタク的と言っても美術史オタク的だったり批評オタク的だったりするのではなく、正しく作品オタクであるのはけっこう難しいことだが、まず「この部分」に別の何らかとの響き合いを聴くことができるかだと思う。それは良し悪しの判断とか文脈への位置付けとはまるで違うことで、アレとコレ、こことあそこ、そんなリンクを果てしなく発見してひたすら拡散を助長させる、拡散と縮小の振り幅がぐっと大きくないと何事もつまらないと。