大王小坂

眠りが浅くて、夜中に目が覚めるとしばらく起きていて、でもいつの間にか、また眠っている。夢をずっと見ているようだ。

前にも夢で見た、父の生まれた町にいる。港町で、親戚のSが住む家は海に面した魚市場から海沿いの道を歩いて数十メートルも離れてない場所にあって、観光客目当ての土産物屋などが多く軒を連ねているうちの一軒で干物の小売業を営んでいる。僕もSもまだ小学生の時代、Sの父がまだ壮年で祖父の代から引き継いだ定置網漁の網元であった頃は、この周辺一帯は人通りも多く観光客や地元の漁師や商人や様々の業者などで連日賑わっていて、夏休みともなると旗を持ったガイドの女性に先導されたバスツアーの観光客が行列をなしてぞろぞろと歩いていたものだが、40年近くも経った今ではすっかり寂れてしまった。

夢はここからはじまる。港町から内陸の方角へ上っていく坂道。バスの停留所から次の停留所くらいまでは距離があるこののぼり坂を歩いて上っていくと、やがて港町よりは若干近代的な、鉄道を交通手段とする地元民の生活に根ざした商店だとか会社施設だとかの立ち並ぶ界隈があらわれる。そこは僕にとって子供の時代に慣れ親しんだ田舎の港町でもなく、普段の住まいのある埼玉の町でもない、友達や親戚の住む町でもない、何の縁もゆかりもない見たこともないような場所なのだった。しかしその場所に足を踏み込むとき、なぜか僕は得体の知れないなつかしさを感じている。ここが目的の場所だったのだとさえ思えるような感覚につつまれている。

今まで見たこともないような場所であるにも関わらず、僕はここに、以前にも来たことがあるのだ。それは確かに記憶している。ただし夢でだ。現実にはこのような場所がないことも夢の中で僕はわかっている。夜である。人で賑わっている。いくつもの街灯が暗い路面を照らしている。小さな店がいくつも軒を連ねているが、観光客目当てではなくて、このあたりに住む主に若者たちがたまり場のようにしている場所なのだ。座席に座ってこちらに背を向けて友人たちと会話を楽しんでいる飲み客たちの姿がいくつも見える。グラスのぶつかり合う音や酒瓶の置かれる音、食材の焼かれる音と匂いと煙、声と音とが混ざり合って渦を巻いている。

それらを見やりつつ僕は歩いて喧騒の先へと進む。やがて物音は背後へ過ぎ去り街灯は減り夜の本来の暗さがあたりに立ち込めてくる。途中で掲げられた標識にもあったかもしれないが、見なくても知っている。この先が「大王小坂」のはずだ。「大王小坂」は現実に、実家の土地に存在する三重交通バス停留所で、現実の僕はそれを知っている。しかし夢の中では、夢の中の僕にとって「大王小坂」は、停留所ではなくてほんとうの坂である。この坂を昇りきらなければ、港町に住む者は誰もバスに乗れないし、バスの路線の先にある町や役場や大きな病院、さらにその先に伸びる鉄道の路線にも辿り着けない、その地域の住民にとって、別の場所へ行くための関所であり玄関口。それが「大王小坂」である。

僕はしかし、この坂に昇るのはこれがはじめてなのか。坂を上りはじめてすぐに気付いた。勾配がきつい。こんなに険しいのか。これは、僕はともかく、今の老いた父親には、絶対に上りきることができないはず。だとしたら父は、遠出をするときや、バスを利用したいときなど、いったいどのようにしてここを上り越えたのだろうか。

荒くなる息を整えつつ、前のめりになって、なおも坂を上り続けている。道そのものは人工的なほどのっぺりとした平面で歩きやすいのだが、傾斜がとんでもない。上り始め当初はふつうだったのが、上っていくうちに角度がじょじょに高まって、ようやく坂の頂上が見えてきた頃には、もはや傾斜は垂直に近いような状態。一歩をしっかりと踏みしめて着実に進まないと、ふと気を許した隙に、自分自身が仰向けになって背中から坂を転がり落ちてしまいそうになるのだった。最後まで集中が途切れないように注意深く歩を進めてようやく坂を越えると、そこは小さな休憩所になっていて、夜の闇の中一箇所だけ、ぽつんと光が灯っている下に、同じように上ってきたであろう人々がベンチで休んで一服していたり、思い思いに過ごしていた。いつのまにか僕のかたわらには父もいて、なんだ、そうか。意外に元気じゃないか。絶対に無理だろうと思ってたけれども、ここまで上って来られるんだから、父もまだまだ何とかなりそうだなと今後を見通した。

しかし、翌日になって、結局父は亡くなったのだった。そうか、やはりあっけないものだなと思った。