習慣

おそらく習慣が、自分の心と身体を支え、自分を支える基盤の元になっている。僕の場合はとくにそうだ。たぶん僕は習慣の外側のよるべなさに漂う自由を、謳歌することなどできない。平日の朝に目を覚まして、寒いし眠いし、身体も疲れていて気分最悪であっても、無理矢理にでも身体を起こして着替えて出掛けなければならない。それは面倒くさいことだが、しかしいったん玄関のドアを開けて外を歩き出し、冷たい風を受けながら、目の前に広がる初冬の景色を見てしまうと、それがうんざりするほど毎度の光景であるにもかかわらず、そのとき、くりかえされるルーティンの中からでしか沸き起こらないような、ある種の感情がめばえる。いつもの朝がいつものようであることを、なぜいまこうして豊かなものに感じているのか。いつものごはんがいつものように美味しいとか、いつもの色合いがいつものようにうつくしいのと同じで、変わらないままであることによろこびが含まれているのか、それとも変わらない枠の中だからこそ気付ける微細な違いに反応しているのか。いずれにせよそれは習慣の中からしか生まれないもので、おそらく僕の場合は自らに課された習慣を肯定するところから始めるしかないとも言える。