録音

妻が出掛けて一人なので、すし屋に行って昼から飲む。食後、初台に移動して一度来てみたかった店を訪れてコーヒーで読書、個人的にレストランで一人で何時間もかけて食事をして酒を飲むのはぜんぜん嫌じゃないどころかむしろ楽しくてそんな時間が大好きなのだが、喫茶店で読書するのは昔からけっこう苦手で、三十分も経つと落ち着かない気分になってしまい、一体自分はここで何をしているのかという本質的不安というかレーゾンデートル崩落の予感を感じてしまう。読書をしながら四時間でも五時間でも同じ店に長居できる人もいると聞くが自分には想像もつかないことである。でもそれなら自宅がいちばん快適なのか?と言われたら、いや必ずしもそうじゃないですと答えたくて、座って読んだり、別の部屋に移動して読んだり、寝転んだり、また座ったり、落ち着かぬこと甚だしく、効率も上がらず集中力も途切れがちなことが少なくないようだ。それにくらべて電車内の読書はけっこう快適と思うことがある。あれは終わりの時間が明確だからだろうか、なぜか妙にいい感じの集中力が持続する。図書館も悪くないと思う。図書館に来て、蔵書を物色せず持ち込んだ自分の本をずっと読んでいることもよくある。で、今日はじめて行った店は読書に特化していることをお店自ら謳っており読書が店内に滞在する客のもっとも適切な過ごし方となっていて、実際なかなか良かったのでまた機会をみて来ようと思うし、今後も自宅以外での快適な読書空間を探っていきたい。それにしても世間の読書家たちは読書中に身体をあまり動かさないものだろうか、それとも頻繁に動くものだろうか、僕はわりとじたばたしたい人で、不変の姿勢はやや苦手で、独り言やため息なども多く(IT系職種には多い)、ひどいときは檻の中の動物みたいに部屋の中を一時間もぐるぐると歩き回っていたりすることもあった(昔はよくあった、さすがに最近はしなくなった。)

妻から連絡がきて銀座と東京で買い物して帰宅する…はずだったが、千代田線が途中運転見合わせになって、じゃあ、もう仕方が無いから酒だ、となって西日暮里の居酒屋で飲む。昼からずっと日本酒と魚ばかりだ。

レコード・コレクターズ 2018年 12月号はビートルズのホワイト・アルバム特集で、これを読んでまず今回再発のホワイト・アルバムはリマスターではなくリミックスだという事実をはじめて知る。トラックごとに全部再ミキシングしているのだ。これは抜本的な変更と言える。で、Apple Musicでとりあえず飛ばしながら幾つか聴いてみたのだが、なるほどこれはたしかに違う。あらゆる音の要素と諸関係が整理し直されている。生まれ変わったという言葉が大げさではない。良くなったか悪くなったかは聴く者の主観に拠る、というところもそうだ。

雑誌の「現役エンジニア中村公輔に『ホワイト・アルバム』の録音事情を聞く」という記事がとても興味深かった。まず当時のエンジニアにとって「ビートルズ」なんてワケのわからないことをやってる素人集団としか思えなくて、あんな連中の録音を担当するなんてできれば避けたいと思っていた(のかもしれない)、という話がすごい。たしかにビートルズは売れてはいるけど、音響・録音の技術者として目指すべきはクラシックやジャズなどをたくさん手がけてキャリアを重ねて腕を磨くことであると当時は考えられていて、やたらとマイク位置を変えたりドラムにタオルだのを詰め込んで一喜一憂してる連中の支援なんて冗談じゃないと。だからEMIの中でも若くてさほど実績もないジェフ・エメリックがエンジニアに選ばれて、その彼もメンバー間の雰囲気が悪いせいでその場にいるのが辛くて途中で抜けたとか、これが、あの歴史的名作が作られているときの裏側で起こっていた本当の話なのだろうか、と驚いてしまう。