Ornette Coleman

1991年の映画「裸のランチ」のサントラで僕ははじめてオーネット・コールマンを聴いた、そのときの印象がまず明確にあった。その直後に「ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン」を聴いたがイマイチよくわからず、そのまましばらく離れるが、数年後に「An Evening With・・・」を聴く。ここでの"Sadness"、"Clergyman's Dream"を聴いて「これはすごい!」と手のひらを返したように感激する。しかし、「裸のランチ」サントラでも、「ゴールデン・サークル」でも、「An Evening With・・・」でも、基本的にオーネット・コールマンは見事なまでにやっていることが変わってない。音全体の雰囲気はそれぞれ違うが、演奏者としてやりたいことは不変な感じだ。しかし変わってないのに、それはものすごく異様…というか鮮烈である。たしかにはじめて「裸のランチ」を聴いたときに、(思ったよりもマイルドで聴きやすいじゃないか、フリージャズの大御所という感じではないな…)などと思ったかもしれないが、そういう大雑把な印象とは別に、その音はそれ自体でとても強く、耳を惹き付けずにはおかない質感をもつ。その印象を、数年かけて「やはりこれはこうだった」と確認しているだけのことだ。しかしそれはAがAだったことの発見ではなくて、AがAだけどAに触れている僕がそうじゃなかったということの発見である。いや自分を…ということでもなく、Aの発見なのだが、同じだったことに安心できるような発見ではなくて、むしろ先に道がなく支えもない不安の貼りついたよろこび、とでも言いたいような在り方の発見である。そしていつもそうだがジャズはバンドでありアンサンブルであることの何という嬉しさだろうか。何でもそうだが、三人集まれば時間も空間も立体的になる。相互の行き来が生じる、それだけで充分に嬉しいし、基本的にはそれ以上のことは装飾のようなものに過ぎないのかもしれない。演奏の後半にくると、単に嬉しさに浸っているだけではないかと自分に呆れることもある。