拭く


マヌエル・プイグ「蜘蛛女のキス」では、ゲイのモリーナが政治犯バレンティンと同じ牢屋に入っていて、バレンティンが腹を壊して下痢するのを、モリーナが献身的に助けてあげるシーンが何度か出てくる。このウンコの場面、山手線の中とかで、そのあたりを読んでいると、ともすると危うく泣きそうになる。ああ、こんな優しいというか、こんな風に相手に献身的であることが、初期状態みたいな人間っていうのが、実際にいるんだよなあ、実在するんだろうなあ、と思うと、ほとんど遥かな彼方の奇跡が目に見えたような気になって、胸の奥が熱くなり、喉下と鼻の奥に塊がこみ上げてくる。無理だなあ、絶対に無理だなあと思う。たとえば今、電車の中の僕の目の前にいる、この男。スマホの画面を見ているこいつが、急に苦しみだして下痢したら、僕はこいつを抱きかかえて電車から降ろして、トイレに連れて行って、ズボンを脱がせてやって、自分の手持ちのタオルとかハンカチでこいつの汚れを拭いてやって、水で洗ってやる。いいよいいよ、御礼とか詫びとか言うなよ、いいから、楽になるまでそのままじっとしてろよと言って、ひたすら清拭に励む。当たり前のことのように、それをする。どう思われるとか、思われたいとか思われたくないとか、それ以前に、そうでしかありえない。そんなことできるか。無理です。自分には無理だとわかっている。だから泣きたくなる。