事実


遅くとも朝九時には父親宅に到着しなければならないとなると、東京発の始発新幹線を使っても間に合わないので、こうして前夜から夜間バスで出発して、早朝の名古屋から急行で移動するしかないのだ。父親の実家とその周辺には、幼少の頃からこれまでの間に、数えきれないほど何度も来たけれども、名古屋から急行を使っての電車移動はたぶん始めてで、しかも早朝で、これまででもっとも疲労度高い旅程であるが、にもかかわらず近鉄線の乗り場で電車を待つときは、子供の頃の、夏休みいっぱい彼の地へ向かうときの期待と高揚感が、自分の意思と無関係に無意識下から湧き上がってくるのだから面白いものだ。



名古屋から、まずは二時間かけて鳥羽駅まで、そこからさらに、三十分かけて鵜方駅まで。到着は八時過ぎだろう。電車が走り出す。乗客はまばら。なぜか女性が多い。外はまだ真っ暗だ。走り始めた電車の揺れに身を任せながら、ぼーっと車内や窓外を見ている、そのうち眠る。また起きて、また眠る。目を覚まして周りを見るごとに、周囲に座ってる客たちの顔ぶれが変わっているが、座席の空き具合は変わらずまばら。外はまだしっかりと暗い。まだ夜の続きだ。


名駅の手前で、ものすごく大きな川を電車が渡る。五百メートル以上の川幅ではないかと思う。木曽川と、もうひとつ同じくらいの川幅の川。水の上だ。水の上を電車が飛んでいるような気がする。暗い川面に光が星のように反射している。


いつの間にか鳥羽駅に着いた。座席から立ち上がり、いそいそと向かいに待っていた列車に乗り換える。わりと時間差なく発車する。もし居眠りしてたら確実に乗り遅れるではないか、容赦ないな、油断できないなと思う。向かいの座席には三十前後くらいの女性、端には地味な雰囲気の女子高生がだらしない格好で座ってスマホを操作している。やがて、ほぼ無人みたいな駅周囲にほとんど何もなさそうな、しかもこんな早朝に、いったい何の用事で?と思うような停車駅で、その高校生は降りて行った。他人には他人の時間があって、彼ら彼女らはその中に生きているのだろうが、そこでまた別の目的や希望や絶望や倦怠をかかえているのだろうが、それはわかるが、しかしその理解は理屈に過ぎず、かの高校生の実際の生、そのたった今の時間と、これまでの僕の時間と、これはほとんど並立していながらまったく混じり合うことはない、…そんなことを、こういった見知らぬ場所の、突拍子もない時間の、その刹那の瞬間には、思い浮かべやすいというものだ。ほんらい別々にあるはずの世界がたまたま今ここに隣接したとか、そういうことではなく、この私の今までとこれから、その膨大さと同じだけの大きさが、あの停車駅で降りていった誰かの内にも存在していた、というか今もそう。その大きさや量では捉えきれない計り知れなさが普通にある。まだ早朝で暗闇に近く、犬も歩けば、高校生も歩く。なぜここに、なぜ今があるのか、混じり合わないことの確からしさ、外気温の冷たさに等しいくらいの盤石さをたたえている。そういうことを考えていられるのも一人で電車の座席に腰掛けていられるうちだけだ。どうせ今日もまた諸事バタバタするのだろう。


家に到着、しばらくしてケアマネさんヘルパーさん到着、介護タクシー到着、病院の診察結果を踏まえて、サービスレベル(介護レベル)を上げるための申請提出準備、認可されるとみなして実施事項を色々と増やす。訪問看護も利用する方向で今日契約手続き、訪問看護師と初対面の挨拶、五十代前半、いや半ばくらいか、ベテラン感漂う小柄な女性、顔立ちはすっとした感じで、というかまあ僕はわりとこういう感じの女性は好みかもしれない。契約云々で話をして、こういう女性とお前は相性がいいのかと問われたら実はあまり良くないのだが、相性の良くないと思われる女性になぜかふと惹かれるって、あるよねとか、そんなことを一瞬とはいえ考えるのだからぼくも凄いというか呆れるが。三十分くらいかけて大量の契約書に署名してひたすら判子をつく。治療室での治療は主治医、看護師、訪問看護師、ケアマネ全員で見学。訪看からアレを買っておいてくれ、これも必要だと云われて、そんなものをこちらが買うのか、名前を聞いたこともないそんな薬や医療用具がこの田舎のどこに売ってるのかと思うが、購入はケアマネさんが全部引き受けてくれて助かる。というかこの地で買い物など車がなければ絶対ムリだ。正直、俺に言うなよと思う。まあ要するに役立たずで申し訳ないのですが。


治療室で、褥瘡治療始まる。主治医の先生と看護師さんのオバさんたち数人。それにケアマネさん、訪看さん、身内の自分も立ち会う。ズボンを下ろして患部を露出させる、皆が覗き込む。自分も覗き込み、独特の匂いにうわっとなって身体を引く。便の匂いなのか傷から発される匂いなのかよくわからない、僕以外の皆さんは全然平気で、色々と状態や方針を話し合いながら、ガンガンと処置を進める。床に直接座り込んで、尻の患部に顔を三十センチくらいまで近づけつつ、患部を洗浄する人と、上から台所用洗剤の瓶みたいなヤツで薬品をかけている人。周囲で処置方法を主治医の先生と遠慮ないタメ口で話す人、治療の痛みに耐え無言で顔をしかめながら枕に顔を押し付けている患者の老人すなわち我が父、患部と治療の様子を自分のスマホで写真に記録している訪看さん…登場人物の全員が僕よりも年上でしかもほぼオバさんであるが、甚だ失礼ながら、どの方々も絵に描いたように典型的な三重県の片田舎に暮らすオバさんたちにしか見えないのだが、それはそうだがしかし、その人達の立ち働き、意見を交わしあい処置を進める姿の、なんという頼もしさであり業務遂行の安定感だろうか、複数人がチームと化して、それぞれの役割を十全に理解しつつ役回りを共有しているフィールド全体の、なんという好ましい躍動感と活気だろうかと、まずそれに静かな感動をおぼえてしまう。医療の現場は、ことに外科関連の治療においては、こうして如何にも活気のある戦争映画のワンシーンのように躍動するもので、ミッション遂行の様子が活劇化されているようでもあり、同時に大量の登場人物がそれぞれバラバラに別のことをしている様子が大画面内で捉えられ描かれている、古いイタリアの古典絵画のような、あるいはレンブラントの夜警とか解剖学講義の絵のような、そういった動きの凝固みたいなイメージも幾度も想起させられる。ああすごいなあと思う。ただ医療的処置の適切さとか有効性はもちろん素人にはわからないので、働く人のそういった安定感と躍動感だけを頼りに感じ取るしかない、ということもある。


病院から戻って、夕方四時から担当者会議を行うことに。こういう催しをやるというか、やらなければいけないというのが、介護サービスを利用しているという事で、このあたりをマネジメントするのがケアマネであり、介護度に応じ点数を振り分け、医療行為は訪看に割り当て、判断と了承は身内にさせるという、この人の仕事の仕方がなんとなくわかってきた気もする。ヘルパーさんは介護者に対して食事のしたくをしてくれるのだが、必要以上に台所周りを片付けたりはしない、というか、ある種の遠慮とか配慮が感じられる、掃除もゴミ出しでも、身内がやるのとは少し違う。踏み込み方が違うという感じだ。もっと、ご自身が楽なように、ある意味勝手な判断で、もっと思ったようにガーっと使ってくれてかまわないのに、とも思うが、それをしないのがケアサービスというものだ。それはある意味、サービス提供側が自分の身を守るということでもある。そしてこれは、ビジネスとも言い切れない、だから自分も顧客というわけではない、サービス側は介護者や身内の満足度を向上させるように努力して下さるのだが、たぶんこちらも、努力しなければいけないはず。


…とはいえ、結局少なくとも僕は、また東京に今夜中には戻るので、会議前の数時間でやれることは限られるので、結局は計画に対して承認するとともに必要なお金はあらかじめ少しゆとりをもって預けておいて、くらいの事しか出来ない。すいません、でもすでに今日の空は、明るさを失い始め早くも暗闇に染まりつつあるのだ。こんな時間から出発して、東京に着くのは何時になることやらと思いつつ、まだ仕事中のヘルパーさんに挨拶だけして父宅を退去する。最寄の停留所でバス時刻表を見たら次のバスは三十分後だ。結局、次の停留所、また次の停留所と三つ分くらい歩いて、やがて来たバスに乗り、近鉄特急で鵜方駅着で発車したのが七時前くらいか。またもや東海道を行く鉄道の旅。前回と同じ酒を飲み、同じ態度に終始。なんだかんだで、この数週間、ずいぶん飲んでる。飲み過ぎてると思う。このあと、今日はムリだとしても明日以降で、先週から今日までの経緯を母親と妹に伝えるのが、手間掛かるなあと思う。考えるだけで面倒くさい。このブログを書くのもそうだ。色々あったけれども、溜まっている数日分を、いつになったら書き終わるだろうか、というか、何を書きたいのだろうか、、などと考えつつ、ぼんやりとウェブを見ていたら、三宅さんが僕が15日に書いたことに言及してくれており、それを読んでしみじみ感とめっちゃ嬉しいのと混ざり合った幸福な思いを味わう。やはり自分はこうして一人で電車に乗って酒呑みながら、何か読んでいるのが一番楽しくて、ましてやこうして誰かが自分の書いたことに何らかの反応をしてくれているのを見ることが出来るなんて、これほど嬉しいことがあろうかと思う。こうなると身体的疲労感まで心地よさに感じてくるから現金なものである。


生きていて、生活していて、色々見たり聞いたりして、面白いこと、書かれたら良いと感じること、残されるべきだと思うことなど、いくつもあるが、しかし、書かれたものの面白さというのは、それらすべての再現というより、それらの代替になるように作用しなければいけないんだろうとも思う。書かれたものは書かれたものとして、現実と呼ばれる何かとはリンクしない書かれた限りでの事実それ自体でしかなく、その裏側から、過去とか、記憶とか、あるいは作者とか、背景というか、テーマというか、モチーフにされたもののイメージが、その香りが、状況によっては後付けで香ってくることも、あるかもしれないが、それはそれで、書かれたものは原則として何の裏付けもなく、それ自体としての事実性をもって存在する、そんなことでなければいけないはずだ。僕は反動的なところもあるかもしれないが、まったくありえないはずのことがありえたという喜びのうちに留まることは、それほど悪いことではないはずと思いたく、でもこの香りが良いから、それを別の媒体にこすり付けて、それをその香りとして楽しもうとしてはダメなのだ。別の物体の別の現れが、結果的にその香りと結びつくことはあるかもしれないし、人と人も、行為と行為もそのように響きあうことがあるかもしれない、というか、そうでなければいけないはず。収容所体験を語っても死者はよみがえってこないが、かつてその場所があり生があったことの(再現ではない)手触りを、語りは再生させるはずだ。そのときに物理的な時間や空間の飛躍が、ある意味奇跡のように目の前に実現されていると言って良いはず。