古井由吉作品


それにしても、古井由吉作品の世界における女性とは、その登場人物たちにとって、なぜかくも宿命のように、持病のように、逃れられない重荷のようにして、彼らと関係するのか、それはすでにはじめから定められているかのようだ。女性が、というよりも、登場人物が自らの性欲というか交接の意志欲望に対してはじめからあきらめているということなのか、しかしそれを省みる部分とか自嘲や後悔などかけらもなく、そんな話題の要素などいっさいなくただ浮遊するかのようにうろつきまわり喧騒のなかに静寂を聞いたり幽霊を見たり過去にはっとしたりするばかりで、語られることも無い女との関係、その時間と場所は動かしがたい何かでもはや語るにも値せず今更とやかく言っても仕方の無いもので、しかしあるとき女は唐突な遮蔽物のように登場人物の視界をさえぎって覆いかぶさってきたり唇を寄せてきたり妊娠を告げてきたりする。


こういう女の在りよう、物語内イメージ、その仕掛けに、僕は古井由吉作品に対しては以前から、どことなく懐かしい感じというか、横たわる裸体の描かれたちょっと古臭い油絵みたいな、妙にもっさりした感触を感じていなくもなくて、それは今でもそうだ。ちょっとした昔っぽさ、昭和的な香りというか、飴色の油膜に包まれたマチエールというか、そんな中で、ほとんど過去完了形で「女」と接近してしまっていることの不思議さというか、すでに密着状態、膠着状態から始まっていることの不思議さのようなものを感じる、女というか他者全般に対する根本的な感覚の違いを感じる。たぶん僕がデフォルトで抱えている他者への感覚、怖れとか不安とか懐かしさとか親しみとか性的欲望とか、そういった諸々のすべての感触というものを、古井由吉作品を前にしたときは一旦保留にしてその世界に入っていく。


自他の境の曖昧さ、時間や空間の揺らぎ、そのなかで説明不要なほどこともなげに他者と癒着接合してしまって、というか嫌でもそうなってしまって、すでにそうなっているところから意識がはじまっていて、それを拒否することなんてできないし、そもそも考えたこともないみたいな、むしろそんな風でしか居られないというか、逆にいえば「他者という謎」みたいなことを、この人達はほとんど深刻に考えることがないというか、いや、おそらく古井由吉作品の登場人物たちにとっての「他者という謎」と、僕にとっての「他者という謎」が、言葉は同じでもおそらく中に入っている意味内容がまるで違っている。それはもしかすると、僕の方がおかしいのかもしれないというか、僕の方が何かを見ないことにしているから、むしろ僕の方が、最初からそう決めてかかって、すでにそうなっているところから意識がはじまっていて、それを拒否することなんてできないし、そもそも考えたこともないと、そう思っているからなのかもしれない。


今の自分にとって古井由吉作品はとても面白い。一文一文が活発に作用してくる感じがある。目を瞑ったままでいると際限なく出てくる模様のようにどこまでも続いていく、「感覚という謎」「死という謎」この二つだけがぐるぐるしているように感じられる。この二つを巡る渦巻き模様のように感じている。