静寂


青木雄二の傑作漫画集「矛と盾」後編より、収録作品中「彼岸と此岸の間で」がとくに印象深く、最後の1ページの余韻は思いのほか胸に迫るものがある。というか、作品全部がこの1ページのためにあるような感じだ。


賭け将棋の乏しい稼ぎで生計を立て妻子を養っている灰原。アパート隣家の主人がくも膜下出血で亡くなったことを知る。葬儀が終わって、灰原はそれが他人事とは思えない。翌日、灰原は銭湯でヤクザの元同僚と偶然再会する。灰原も元ヤクザで今は足を洗った身のようだ。元同僚は灰原の痩せ衰えた姿を見て驚く。元々七十キロあった体重が、今では四十五キロになった、それがどういうことかわかるだろうと灰原は言う。末期がんを患っているのだ。灰原はあらためて元同僚に頼む。死を覚悟したものにしかヒットマンはできない、俺にシノギをまわしてくれないか、同僚は了承し、現金一千万円と拳銃と痛み止め用のモルヒネを渡す。灰原は事情を妻に話して説得し、一千万円を持たせて子供と共に実家へ帰させる。別れ際、妻は「あんたに押し切られたけれども、あんた、許してね」と言う。灰原は「ひどいことをよく理解してくれた、感謝している」と言う。翌日からホームレスに扮した灰原はターゲットである抗争相手ヤクザの組長を待ち伏せし、ある日ついに目的を果たす。仕事をやり遂げた灰原は誰もいない河原の掘立小屋で、夜空を見上げながらこう心に思う。


なんという
静寂さなんだ!
今まで気が
つかなかった
なー

今まではすべてがお金のことばかりだった・・・

妙に
無関心と
合致するなー

そうか!

位久子、お前はここに
いるじゃーないか!!

ここは
お前と同じように
すべて
無関心というやさしさで
私を抱擁してくれる

ヨシ
ここで
残りの時間
目一杯
生きてやるか


V.E.フランクル「夜と霧」において、もっともこころを揺さぶられると言って過言ではない下記の箇所。(122頁から)


当時、われわれが早朝収容所から「作業場」へと行進して行く時はどんなだっただろうか。命令が響きわたる。「ワイングラード労働中隊!並足!進め!左!二!三!四!左!二!三!四!最前列、横隊注意!左!左!左!脱帽!」その記憶は私の耳になおそれを響かせている。「脱帽」と命ぜられるのは、われわれが収容所の門を通る場合であった。探照灯の光がわれわれの上に向けられる、この時にピンとしっかりして五列になって行進しないものは長靴でひどく蹴られるのであった。また命令が出ない中に、寒いので帽子をまたすっぽりとかぶりでもしようものならもっと悪いことになるのであった。かくしてわれわれは薄暗い中を収容所から出る道の大きな石や一メートルもある水溜まりを越えてよろめいて行くのであった。何度も繰り返し傍にいる監視兵がどなり、銃の台床でわれわれを駆り立てた。ひどく傷ついた足を持っている者はその腕をそれ程ひどくない隣の人の腕にかけていた。われわれの間には殆ど一言も交わされなかった。未明の氷のような風は、その方が賢明であることを示していた、上衣の襟を立てたその陰に口を覆いながら、私と並んで進んでいた一人の仲間が突然呟いた。

「なあ君、もしわれわれの女房が今われわれを見たとしたら!多分彼女の収容所はもっといいだろう、彼女が今われわれの状態を少しでも知らないといいんだが。」

 すると私の前には私の妻の面影が立ったのであった。そしてそれから、われわれが何キロメートルも雪の中をわたったり、凍った場所を滑ったり、何度もお互いに支えあったり、転んだり、ひっくり返ったりしながら、よろめき進んでいる間、もはや何の言葉も語られなかった。しかしわれわれはその時各々が、その妻のことを考えているのを知っていた。時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後から朝焼けが始まっていた。そして私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかった驚くべき生き生きとした創造の中でつくり上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見る--そしてたとえbそこにいなくても--彼女の眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。その時私の身をふるわし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて歌ったあの真理を、生れて始めてつくづくと味わったということであった。すなわち愛は結局人間の実存が高く翻り得る最後のものであり、最高のものであるいう真理である。私は今や、人間の詩と思想とそして--信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を把握したのであった。愛による、そして愛の中の被造物の救い--これである。たとえばもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は--瞬間でもあれ--愛する人間の像に心の奥深く身を捧げることによって浄福になり得るのだということが私に判ったのである。収容所という、考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ないその苦痛に耐えることだけであるような状態--このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ観て浄福である、と言われていることの意味を私は生まれて始めて理解し得たのであった。

私の前で一人の仲間が倒れ、その後から進んでいた者達も従って転んだ。看視兵がすぐとんできて彼等をなぐりかかった。数分間、私の想像の生活は中断された。しかし直ちにまた私の心は高く飛翔した。そしてこの世の囚人の境涯から彼岸へと再び逃れ、またもや愛する者との対話を始めた。私は問い、彼女は答えた。彼女は問い、私は答えた。「止れ!」われわれは作業所に到着した。「総員、道具を取れ!鶴嘴とシャベルだ!」みんなは、少しでも手頃な使いよいシャベルや鶴嘴をうまく手に入れるために、暗い小屋の中に殺到した。「早くしないのか!この豚犬ども。」間もなく各人は壕の中の昨日の場所に立った。凍った地面は鶴嘴の先で砕け火花が散った。頭はまたぼんやりとし、仲間たちも語らなかった。しかし私の精神はなお愛する者の面影によりかかっていた。まだ私はそれと語り、それは私と語った。その時私は或ることに気がついた。すなわち私は妻がまだ生きているかどうか知らないのだ!そして私は次のことを知り、学んだのである。すなわち愛は、一人の人間の身体的存在とはどんなに関係薄く、愛する人間の精神的存在(哲学者の呼ぶSo-sein---本質)とどんなに深く関係しているかということである。彼女がここにいるということ、彼女の身体的存在、彼女が生存しているということは、もはや問題ではないのである。愛する人間がまだ生きているかどうかということを私は知らなかったし、また知ることができなかった。(全収容所生活において、手紙を書くことも受け取ることもできなかった。そして事実妻はこの時にはすでに殺されていた。)しかしこの瞬間にはどうでもよいことであった。愛する人間が生きているかどうか--ということを私は今や全く知る必要がなかった。そのことは私の愛、私の愛の想い、精神的な像を愛しつつみつめることを一向に妨げなかった。もし私が当時、私の妻がすでに死んでいることを知っていたとしても、私はそれにかまわずに今と全く同様に、この愛する直視に心から身を捧げたであろう、そしてこの精神的な対話は今と全く同じように力強く、かつ満足させるものであっただろう。この瞬間、私は「我を汝の心の上に印の如く置け--そは愛は死の如く強ければなり」(雅歌八章ノ六)という真理を知ったであった。

その心掛けのある者が、強制収容所における生活で体験する内面化の可能性は、また現在の存在の空虚と荒涼と精神的貧困から過去へと逃れるという道を辿ることでもあった。彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に想いを馳せて、それに耽っているのであった。しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事やささやかな事象の周りを、彼の考えはめぐっているのであった。それは彼ら囚人にとって、澄みきった思い出というよりは悩ましい思い出であった。周囲と現在に背を向け過去をふり返る時、内面の生活は独特の特徴を帯びるのであった。今の世界と生活は消え、精神は憧れながら過去へ戻っていくのであった。--市電に乗って家向かう、入り口のドアを開ける、電話が鳴る、受話器を持ち上げる、室の電灯のスイッチを入れる--囚人がその想い出の中でいわば撫で翻して慈しむものは、こんな一見笑うべきささやかなことであった。そしてその悩ましい思い出に感動して彼等は涙を流すこともあったのである。

若干の囚人において現れる内面化の傾向は、またの機会さえあれば、芸術や自然に関する極めて強烈な体験にもなっていった。そしてその体験の強さは、われわれの環境とその全くすさまじい様子とを忘れさせ得ることもできたのである。アウシュビッツからバイエルンの支所に鉄道輸送をされる時、囚人運搬車の鉄格子の覗き窓から、丁度頂きが夕焼けに輝いているザルツブルグの山々を仰いでいるわれわれのうっとりと輝いている顔を誰かが見たとしたら、その人はそれが、いわばすでにその生涯を片付けられてしまっている人間の顔とは、決して信じ得なかったであろう。彼らは長い間、自然の美しさを見ることから引き離されていたのである。そしてまた収容所においても、労働の最中に一人二人の人間が、自分の傍で苦役に服している仲間に、丁度彼の目に映った素晴らしい光景に注意させることもあった。たとえばバイエルンの森の中で(そこは軍需目的のための秘密の巨大な地下工場が造られることになっていた)、高い樹々の幹の間を、まるでデューラーの有名な水彩画のように、丁度沈み行く太陽の光りが射し込んでくる場合の如きである。あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。

そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え上がる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から真紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまだ燃える空が映っていた。感動の恍惚が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。

あるいは労働苦役で壕を掘っているとしよう。私の頭上の空は灰色であり、鈍い暁の光りの中の雲も灰色であり、仲間を包んでいるボロ衣も灰色であり、彼らの顔も灰色である。再び私は愛する者との対話を始め、あるいはもう何千回目ではあるが嘆きと訴えを天に送り始めるのである。そしてもう何千回目に私は答を得ようと苦しむのである。すなわちこの私の苦悩、この犠牲の意味--このゆっくりとくる死の意味を得ようと闘うのである。私の前にある死の慰めなきことに対する最後の抵抗において、私は私の精神が周囲の灰色を貫き通すのを感じる。そしてこの最後の抵抗において、いかに精神がこの全く慰めなき意味なき世界をのり越えるか、また究極の意味での究極の問いに対して、勝利の肯定の声がどこからとなく歓呼して近づいてくるを感じるのであった。そしてこの間--明け行くバイエルンの朝の絶望的な灰色の真只中に、地平線に芝居の書割りのように立っている遠い農家の窓にあかりが一つぽっとついたのであった……"et lux in tenebris lucet"(光は闇を照らしき)……

かくして私は何時間も凍った地面を掘り続けた。そしてまた看視兵がさしかかって私を罵って行った。そして私は愛する者との会話を再び始めた。益々強く私は彼女が今そこにいるのを感じるのであった。まるで彼女を抱くことができるように思い、彼女を捉えるためには手を伸ばしさえすればよいかのようである。全く強くその感情は私を襲うのであった。彼女はそこにいる!そこに!……その瞬間……何だろう?音もなく一羽の鳥が降りてきて私のすぐ前の、私が壕から掘り出した土塊の上に止まって冷たくじっと私の目をみつめる。