アメリカ小説


面白い、こういうのを面白いと言って良い、と思いながらリチャード・パワーズオルフェオ」を読み進める。小説を読んでいるのに、まるで映画を観ているようだ。しかも最近の現代アメリカ映画から感じられたニュアンスのまとまった集積を観ているみたいだ。もしスパイク・ジョーンズとかミシェル・ゴンドリーとかが映画化したと聞いたら、如何にもだなあと思ってしまいそうだ。とにかくその欧米人たち男女の語りや物腰、仕草、表情、会話のテンポや間合い、皮肉やジョークのテイスト、傾向、登場人物たちそれぞれの性格分布というか社会構成要素としての自分に課せられてる役割分担の意識というか「人の感じ」が、ああ、まるで映画を観ているようだと思う。たとえばアメリカ映画を観ているとき、その映画の話がどうとか演出がどうとかそれ以前に、キャストのアメリカ人俳優の姿を見ているだけで、まさに今リアルタイムで、こういう人間が存在していて自分と同じ空気を吸ってて、こういう話し方をする、こういう表情で相手を見る、こういう現実があるのだという、それだけが妙に意識されるときがあるけど、本を読みながらまさにその感覚をずっと感じ続けている。と言っても物語の主人公は現時点で七十歳で、物語の進み方も色々とトラブルで逃避行する流れの合間に主人公の過去の半生から幼少時、学生時、結婚、離婚後など、時代の変遷ごとの各エピソードが指し挟まるように展開されるという、だからそれほど現代的でもないしリアルタイム感もないし、いわばアメリカ現代史的、音楽史的な話なのだが、それでも如何にも映画っぽい感じが濃厚である。しかも所々でここぞとばかりに印象的な音楽の使われ方、というか取り上げ方がされていて---オリヴィエ・メシアン「世の終わりのための四重奏曲」とかスティーヴ・ライヒ「プロヴァーヴ」とか…、これらの曲が登場してくる箇所はいずれも、この小説の白眉というか圧倒的に素晴らしい部分と言えて、このあたりの箇所を読むためだけに「オルフェオ」を読んでもいいのではないだろうかとさえ思う---まさに小説が必死に音楽を奏でようとしている感じで、なかなか良いのだ。…とはいえ、僕は「世の終わりのための四重奏曲」も「プロヴァーヴ」も聴いたことなかったので、おかげでこのたびはじめて聴く機会を得ました。