ブエノスアイレス事件


マヌエル・プイグブエノスアイレス事件」。まだ前半三分の一くらいまでしか読んでないが、この後どうなっていくのか。


母親はクララ、娘はグラディス、失踪?行方不明の娘、警察への届出を躊躇する母親、ベッドに倒れている女と座っている男、グラディスの幼少期から思春期を経て美術学校を卒業してニューヨークに渡って働きながらの男性遍歴や個人的事件が羅列的に語られる。片やレオという男性、出生前後、母親の死、姉との関係、思春期、性欲と行為。


…これら登場人物たちがこの先どのように関係していくのかは、今のところまだわからない。プイグらしい知的な構成の作品という感じだが、とにかく全編に濃厚なエロ感が漂っていて、朝の通勤電車内で読んでいるとなかなか後ろめたい気分になれる。すべての登場人物が自らの性欲に翻弄されているというか、性欲と共にあるというか、性欲こそが人の生命、という感じである。


元々奥手で内気だったグラディスのわりとありきたりでなし崩し的に幾人かの男性と関係をもつ遍歴はたぶん世間一般によくある話とさほどかけ離れているわけではないが、それゆえにというか半分受身でなんとなくそうなってしまうようなだらしのない時間の移ろい方、身体の許し方、その脱力的な感じは、抑えた調子での報告調な文体でありながらも濃厚にエロティックであり、脈絡のくずれかけた過去の記憶の、あからさまに性的でもあればそうでもないこともある出来事を思い浮かべながら数ページにもわたって自慰行為する箇所など、こんなのはじめて読んだという新鮮な驚きをおぼえるし、レオの父親は男の子がほしくて三人目の子供を作ろうと妻に頼むが、妻は自分の身体がもう出産に耐えられるものではないことを医者から聞いていて、それを伝えなければいけないのに、その際「夫が精いっぱいの優しさで腰を使っていたから」ゆえ、伝えるべきことを言えず避妊しないことを了承してしまって、行為のあいだ彼女は、快楽の具現化されたような幻影(地平線まで続いている砂丘)をいつまでも見続けるのだが、それが一年後のレオ出産後、衰弱と肺炎で生涯を終える瞬間にも、やはり同じ幻影を見ていたとされる。


この亡くなる母親の箇所、いつまでも心に残ってしまって、しばらくそのページの箇所に留まっているしかなかった。