三月の水


「悲しみは」三宅MIX。危うく感極まりそうになった(読んでいたのが仕事中こっそり、だったのでやばかった)。これは…すばらしいですね。なぜこれほど、素晴らしいと思うのか、これこそまさに、リミックスの醍醐味というか、サンプリングとカットアップという手法だけがもたらすことのできる、独自な蘇生感があるからなのか。たぶん、一旦完了して閉じていたある作品が、ある操作によってパーツ単位にばらされて自由に入替可能になってどこまでもエンドレスに拡大延長できるモデルに生まれ変わって、そこにたくさんの、今リアルタイムに生きている人々の息遣いが生々しく挿入されているからだろうか。ある言葉を発する「ただそこに在るものとして」。このあたかも自分のすぐ傍らで誰かが書き付けた文字のような生々しさ。文字そのものに生々しさはなくても、誰かがそれを書いたという事実の生々しさは、こんなやり方によって文字に宿るのか。たぶん今を生きる人間にとって「詩情」というのは、こんな風にしかありえないのではないかしら。三宅さんのDJとしての手腕も冴えている。


ふと思い出したのは、ボサノバの有名な曲「三月の水」。このうたで、ひとつひとつ読上げてる事物は、いったい何を示しているのか。悲しみなのかよろこびなのか希望なのか。いや、これらもやはり、比喩ではなく、詩ではなく、ただそこに在るものとして、うたの中に集められたのだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=QF_Ekf6nHj8
Antonio Carlos Jobim & Elis Regina - Águas De Março (Waters Of March)