散歩する侵略者、九月の冗談クラブバンド


散歩する侵略者」をDVDで観た。表情に深々と濃い陰影をたたえた佇まいの長澤まさみ。腑抜けのようになってしまった夫に、イラつきを含んだ声で夫に呼びかけ、金切り声を上げ、路肩や茂みの奥で倒れてる夫を発見してはその場所まで行って、ちょっと何やってるのよーいいかげんにしてよー、外に出ないでって言ったでしょ!などと、ひたすら不機嫌でご機嫌ななめな様子に魅了される。


それにしても、本作での宇宙人たちのような、こういった如何にも黒沢清作品的な登場人物、目上に対する言葉使いも、この世の常識や社会のしきたりやなどにも、一切関知していない人物の態度が、なんだかものすごくなつかしいものを見ているような気がした。


(と同時に、前日見た「ベイビー・ドライバー」とのシンクロ感を感じながらも観ていた。長谷川博己と逃走する二人の宇宙人が、不思議と銀行強盗一味の男女恋人同士二人組と重なるのだった。どちらも、女が先に死んで、男は後に死ぬ。…まあ、僕が勝手にそう思ってるだけで二つの映画に何の関係もないのは言うまでもない。)


若い肉体を宿主とした二人の宇宙人は銃撃され、その肉体は死んでしまうのだが、結局他の肉体に乗り移ったのかそうでもなかったのか、しかし何しろその気になれば侵略は三日間くらいで終わってしまうのだということで、別に今更乗り移る必要もなかったのかどうなのか、よくわからないが、印象的だったのは二人とも死ぬ瞬間はなんとなくやる気をなくしてるというか、もういいやどうでも…みたいな感じで、ほとんど脱力しているような死の様子だったこと。


それにしても最近の黒沢清の、まるで噛んで含めて聴かせるかのような、不思議なわかりやすさは何だろうと思う。たとえば本作では「愛」という概念が二度ほど出てくるし、それが物語を左右することにもなるのだが、なかなか「愛」という概念というかその言葉を物語の俎上に乗せるというのは、かなり思い切ったことだと思うのだが…たとえば「岸辺の旅」(2015年)の、浅野忠信が黒板に板書しながら宇宙の摂理とかを説明するシーンなどでも同じように思ったが、もう、そういうエピソードの具体的な説得性なんかは大して重要なことではなくて、とりあえず映画が終われば良いみたいな事なのかもしれない。


続けて「九月の冗談クラブバンド」をDVDで観た。思ってたよりもかなりすごかった。いや、これでいい、これしかないと言いたくなるような箇所がたくさんある。美的な感じも荒んだ感じもカッコいい。内藤剛志古尾谷雅人もカッコいい。普通のOLになる内藤剛志の元彼女も脚が細くて踵の高い靴を好んで、カタギと昔の仲間との合間をふらふらしてる感じも良かったが、とにかくバイクや車が素晴らしい。夜、火炎瓶、凶器が乱舞して、最後はほとんどマッドマックス2を凌駕するような展開に至る。路上に散らばる残骸もすごいし、そして全編に溢れる刃物・出血のシーン群も、80年前後のATG系の日本映画の、こういった流血の描写というか血を纏う芝居というか、その在り様というのは、ある様式美というか定型のディテールとして当時の数多くの映画が共有してるような感じに思えるけど何故なのか。光るように鮮やかな赤色。本物の血ではないから余計に大量に溢れ出させたくなるのか。(保坂和志がどこに出ていたのか、自分にはわからなかった。)