floating


横浜にはじめて来たのは高校一年のときで、一人で横浜のそごう美術館に来たのだった。そのとき何を観たのかは忘れた。横浜に来たというより、横浜駅に来たというだけのことだった。しかし当時の横浜駅構内の記憶と、今の横浜駅の感じは、さほど違ってないように思う。右に行けば東口、左に行けば西口の真ん中に立って、人通りを見ていたときの情景は、今の横浜駅の様子とぴったり一致すると言っても良いほどだ。


池袋駅は最近めったに行かないけど、未だに構内を大体わかっている。妻は池袋駅を、何度来てもどこをどう歩けば良いかわからないという。僕は逆にどこに降りようが適当に歩けば東口にも西口にも北口にも行けてしまう。当たり前だが昔から構造が変わってない。それは横浜駅もそうだろう。


先日銀座線で上野駅を降りたら、雰囲気がずいぶん変わっていた。内壁がキレイなレンガ風タイルに覆われて、照明もやや暗めの暖色の色になって、妙な演出臭の漂う雰囲気になっていた。それはまあいいのだが上野駅ももちろん構内の構造そのものは同一であるから、階段を昇ればいつもの場所、日比谷線へ行く方向と丸井の入り口と西郷さんの方へ上る進路の交点に出るのだが、それはわかっているのだが、内壁の様子が違うだけなのに一瞬どちらへ行けば良いのかわからなくなった。歩きながら、あれ、これ間違ったね、別の方角だったねと言いながら、いやいや、やっぱりいいんだ、これでいいんだねと思い直したり、過去の実績のはずと思っている確からしさから、一瞬だけ孤立して頼りなくフローティングした。