大念仏


正午を過ぎて新横浜駅発の新幹線で名古屋、そういえば途中で富士山を見るのを忘れてた。近鉄特急で鵜方、四時過ぎに到着。波切の大念仏やってるところまでお願いしますとタクシーの運転手に行き先を告げたら、は?と返される。大念仏知らないのか!と驚いたが、まあ、それが普通かもしれない。たぶん魚市場の傍です、そこまでお願いしますと告げる。現地が見えてきて、車がいっぱい停まっていて、のぼりや灯る提灯が風に揺れているのが見える。ああ、たくさんいますなあ、やってますなあと運転手が言う。


車を降りて、すぐ親戚のKさんを見つける。EさんもNさんも、Sもいる。皆さん揃っている。大念仏をこうして見るのは子供のとき以来だ。遺族としての参加はもちろんはじめて。Sの父親が亡くなったときにも見ているだろうけど、あれはまだ小学生か中学生の頃。大念仏とはこの地域で昔から行われている盆の行事で、その年に故人を送った遺族は、盆踊りのようにやぐらを取り囲んで、唐傘を挿してゆっくりとその場を周回する。やぐらでは和太鼓と金物的な打楽器によるきわめてミニマルでトライバルなリズムパターンが延々と奏でられる。一、二分ごとに、何々家の何々さんのために、とアナウンスされ、また同じリズムが続く。場を周回する遺族が挿す唐傘には周囲にすだれのような薄紙が貼り渡され、傘内側には故人の遺品や記念の物品などが、まるで夜店の商品みたいに糸で括り付けられてぶら下げられている。唐傘を持つ人と、その背後で持つ人の背中を団扇で扇いでいる人、家族ごとに数人単位で、ひたすらぐるぐると回り続けるのである。僕が子供の頃は、夕闇の中を内側からぼおっと光の灯ったいくつもの唐傘がゆっくりと中空を移動し続けているのがいつまでも終わらず、あの頃はその年亡くなった故人の遺族ほとんどが唐傘を持って参加していたのだろうが、最近は唐傘をもついわゆる本念仏の参加者はピーク時の三分の一かそれ以下らしく、回る傘の数もわりと寂しい。かく言う僕も唐傘は持たない所謂送り念仏での参加であり、この場所に来ることが早い段階でわかっていたならあるいは本念仏参加もあっただろうが、直前まで都合の調整が必要だったこともあり今回のかたちとなった。


空が夕暮れから夜へ移る合間の頃になって二時間近く続いた念仏は終了。世話人のNさんに挨拶して、皆さんに御礼を言って、本日宿泊させていただくSの家へ。たまたま帰省した長男のTさんご夫妻にも久々にお会いする。あらかじめ送付しておいた幾つかの酒で飲み会となる。前にも何度か書いたがこの家の三兄弟に幼少時の僕は多大な影響を受けており、こういった場で彼らの話を聞いているのはまさに自分のルーツを遡るような体験で、ことに酔いが回ってきて喋りが加速し始めたときの彼らのものの言い方や論理の取り回し方や結論のつけ方など、ああそうなのだ、こういう感じ、これこそが坂中家だと実感されるようなものだ。要するにけっこう理屈っぽくてややペシミスティックで韜晦的な、半笑い、皮肉、メタ視点、しかし語ること自体への熱は持続されている、そんな如何にもな自己顕示欲の発露のさせ方、つまり性格悪くてさっぱりしたところが少ない…とここまで書くと悪く言いすぎで、こういう説明の仕方になってしまうところがある種の「症状」なのだろうが、でもそうなんだよねえ、これが自分の基盤にあるのねと納得する。


それにしてもTさんも見た目は若く見えるけどたしか僕より六つ年上だし、会社でも偉くなってしまって、社会的地位も充分に立派な人と言って差し支えない感じだが、この人が高校とか大学時代に作っていたSF同人誌とか、ハインライン「宇宙の戦士」のパワードスーツを模して描いたイラストに、当時小学生だった僕がどれほどの衝撃を受けたかというのは計り知れない。もちろん所謂「ぬえ版パワードスーツ」(wikipedia)の強い影響下にあった絵だけど、当時の自分にとってはTさんの絵の方がよほど強烈なショックだった。八十年代というとき、チラシの裏でもノートの1ページでも、とにかくそこに、パワードスーツでもエイリアンでも美少女でも何でも描き込まれている、しかも非常に大雑把に、しかし素早く、ぎっしりと詰め込まれていて、それは単なる収納であり参照用のリンクであり、それらの渾然となった様が何かを象徴することもなく、大量の文庫本に作家ごとの統一感もない。「Dr.スランプ」の人々はペンギン村に暮らしていたが、あの村のはずれには砂漠が広がっていたのではなかっただろうか。彼らのうちのある者は砂漠をスターウォーズのスピーダーバイクでやって来た。どのくらいの距離を移動したのかわからないが、僕もそのような砂漠地帯で、砂漠の真ん中にぽつんとあるカフェのような場所で生活したかった。そういうライフスタイルの予感というか憧れというか、いずれそうなるという期待のような心のありかたが、すなわち八十年代ということであった。


今、Tさんが取り組んでいる仕事について色々と聞いた。立派な会社の立派な人が大きなやりがいのある仕事をしているという感じで、はー…すごいなあとこちらは感心するばかりだが、それにしても年月を経て、こんな時間の流れをたどることになったとは、まったく驚くべきことだなあと、自分は性懲りもなくひたすら過去と現在を行き来しながら感慨をあらたにしている。話しているTさんを見ていて、何の脈絡もなく唐突に、たぶんきっとこの人、現政権支持なんだろうなあとか思う。(根拠全く無し、こちらの勝手な推測。)論理とか合理とか機械化とか整理とか工学的な要素だけで考えた場合、それはそれで、仕方ないことなのかもしれないな、とか思う。少なくとも論理性の完遂=幸福を信仰できるならば、なあ。


深夜、やがてTさんもSも眠ってしまって、なぜかTさんの奥さんが起きてきて、奥さんと僕と二人で延々お喋りとなった。三兄弟、それぞれの妻たち。この人たちとも近年ずいぶん話す機会が増えた。Tさんが結婚したのは二十五年以上前のはずで、しかし結婚後もこの奥さんとこれだけたくさん話をした記憶はまったくない。まったく、気が遠くなるようなことだと思う。妻が話す夫についてというのは、その夫が自分の身内だとか親戚だとかだと、間接的に自分のことを言われているような感じがするというか、そこまで行かなくても、ほんの少しずれた世界なら自分に該当するのかもしれない言葉を他人のものとして聞いているような不思議さがある。お盆の帰省先でしか会うことのない親戚の奥さんの話、という距離感もまた絶妙。時計を見たら三時を過ぎていて、そろそろ寝ましょうか、となった。