子供

先週の世田谷美術館もそうだったし地元近くのショッピングモールに行ったときも思ったけど、子供がじつに多いのだ、そのときに限っての話だが世間で云う日本の少子化なんてじつは嘘ではないかと思いたくなる。こらどかんか、お前らは公園の鳩かと怒鳴るジジイモードにチェンジしたい。ほとんど全方位型のシューティングゲームみたいに、前後左右あちこちから無数の子供がうねうねと曲線を描いて攻めてくるのを避けながら歩くのでせいいっぱいになる。そういえば、たしか昨日だったか、テレビで子供ばかり入院している神奈川の病院の様子が放映されていて、けっこう重い病気で手術を控えてる小学生の女の子とかが出てきて、さすがに僕も、ああいうのを観ると、心が重くなる。まだあんな小さな子供がなぜ、あれほどの苦痛に耐えなければいけないのかと、胸のつぶれる思いがする。他人でも見てて辛いのだから、親御さんの心労はいかばかりか…。…しかしそのことを、なぜことさらのように僕はここに書くか、子供が術後の傷の痛みにじっと耐えているとき、そこにまるで受苦そのものが現前しているように感じられるからだろうか。何の言い訳もなく差替えの可能性をうかがうわけでもなく、つまりただじっと苦痛を受け止めている、苦痛と共にあろうとする姿に、ある種の聖なるものを重ねたく思うのだろうか、またそんな大げさで感傷的な話にしてしまうのか、それも、どうかと思いますね、なにしろ世の中において辛く厳しい状況と、それを黙って引き受けている者が常に確実に存在することを思い出すのは、憂鬱である。