Einstürzende Neubauten

1993年か1994年頃、だっただろうか。学内の埃っぽいスタジオで練習する学生バンドがいた。ボーカリストはおそらくノイバウテンブリクサ・バーゲルトのようなスタイルを志向しつつ、ポスト・パンクな破壊的サウンドをバックに荒らぶり高まりながら唸り絶叫しマイクを抱えたまま床にうずくまってしまうようなスタイル。ベーシストはそのボーカリストとはずいぶん長い付き合いだったはずで音の趣味も深く共有していたが、それ以外のポップ・ミュージックもファンクやジャズもほぼ分け隔てなく雑食的に何でも聴くタイプだった。ドラマーはゴシック、ジャーマン・プログレ、ノイズ・インダストリアル、アヴァンギャルド、ハウス・テクノ、そして何よりもYMOを音楽的原体験の対象として深く愛していた。そしてギタリストは、ジミ・ヘンドリクスに深く傾倒しその周辺に広がるクラシック・ロックばかりを聴き漁り、ジミヘン的なものを探し求めてジャズ畑にも手を出しはじめたばかりだった。

で、そのギターが僕なのだが、こうして思い返すと、どう考えてもギタリストだけ他メンバーから浮いていた。むしろここまで嗜好を違えたまま「なんとかなる」と思っていたことの方がすごい。このバンドが結果的にどんな音を出していたのか、今となっては言いあらわしようがない。ただそのギタリスト個人の認識として、今の時点では明瞭だが、当時まったく自己理解に及んでいなかったことが少なくとも一つあって、このギタリストは要するにファンク的なリズム、跳ねるビート、八分の六拍子、ブラックミュージック的なサウンドを、とても好きだったのに、このときは自分でそのことにまったく気付いてなかった。それが、彼の不幸のはじまりではあった。

このバンドを僕は途中で抜けた、というか辞めさせられたのだったが、それはメンバーの判断が正しかったと、その時も思ったし、今も思う。僕が抜けて、ベーシストが僕の替わりにギターを担当し、新たなメンバーがベーシストとして加入した。僕と彼らとの関係はその後も円満だったが、いつしか自然と付き合いは絶たれた。そうなる少し前に、僕はドラマーから連絡を受けてバンド新編成後初のライブを観にいって、自分が在籍していたときとは見違えるほどの、明らかにパワーアップした演奏を披露する彼らを見たのだった。

今日は久々に、アインシュトゥルツェンデ・ノイバウテンを聴く。それにしても本当に、バンド名を口に出して言いたいだけ、みたいなバンド名である。まあ当時の僕が気に入って繰り返し聴いたノイバウテンはアルバム「F?nf auf der nach oben offenen Richterskala」だけだったと言って良い。久々に聴いたけど、ほんとうに、人を驚かすことしか考えてないようなサウンドではあるのだが、随所に入るサンプルの爆発音とか破壊音とか、曲調にせよコーラスワークにせよ如何にもなコラージュ感は今でもカッコいい。そして、まるでマイクにむしゃぶりついているのではないかと思われるような、極近の口元から吐き出されるブリクサ・バーゲルトの声もまだ鮮烈さを失ってない。汚いステージにうずくまって呻いている姿を彷彿させるこのボーカリゼーションは、まさに八十年代。