景色

正午前に家を出て、駅までのルートから一本外れた道を選んで線路の反対側に出てから、古隅田川の流れに沿って妻と二人で歩いた。歩く足元に出ている雑草群が、春の準備でしだいに様相を変え始めているらしかった。南下していくとやがて綾瀬川があらわれ、水戸橋を渡ってさらに進み、高速道路の高架が複雑に入り組んだ真下を潜って土手を上ると、荒川の流れているのが見下ろせるところまで来た。ここまでで一時間半くらいは掛かっている。水再生処理場の施設上部が人工公園になっていて梅が満開で、この場所にたしか丁度一年ほど前にも来たことを思い出す。なんとなく自販機で缶コーヒーを買ってみる。缶コーヒーを飲むのはたぶん十何年ぶり。二十代の頃は喫煙者だったし缶コーヒーも毎日のように飲んでいたけど、今ではすっかり飲まなくなった。糖分を含んだ飲料を飲む機会がほんとうに少なくなった(酒類は別)。温かい缶の触感が手になつかしく、喉に流し込むと、適度に冷えて適度に疲弊していた身体の内側に甘さと苦味が沁みるようだ。

目の前で、荒川は冬の太陽を眩しく反射している。あれは何という名前の乗り物か、たしか水上バイクとかだったか、人が跨って二艘ならんで水上を滑走しながら走り去っていき、やがて白い水飛沫跡の波が、緩慢な時間の流れをあらわすかのような速度で、手前と奥にゆっくりと広がって波打ち際にぶつかって消える。

手前のグラウンドでは明るい芝生の上を野球少年たちが白く点在してそれぞれの役割をアピールすべく両手を上げていて、その前のアスファルト舗装された道を、ヘルメットにサングラスの派手な色彩の衣装に身を包んで変な形のヘルメットをかぶって凝固したような前傾姿勢で音もなくなめらかな速度の競技用自転車が通り過ぎていく。自転車に追い抜かれた散歩の大型犬は落ち着きなく前後をきょろきょろと見回しているが、上位にあたる土手の位置で我々人間二人から見下ろされていることには気付かない。あの場所にいる誰もが、自分らを見下ろしているこの視点があることに気付いてない。自分たちがいつのまにか、川を背景とした近景から遠景への層のどこかに位置付けられていることを知らない。

やがて我々もその景色の一要素へ加わって、さらに橋のふもとまで来て、堀切端を渡って、川の景色からも消えてしまう。柳原千草園には春の木々と草草、少し皮膚病気味で目に涙を浮かべた老猫がぼんやりと座っている。歩き始めてすでに三時間を越えて、柳原の古い町並みと商店街が広がっているのを通り過ぎて、ようやく中央図書館まで辿り着いた。本を返却してまた借りる。これで一応、今日の散歩コースはコンプリートです。時間は夕方四時くらい。北千住の早めに開いてるお店で昼食兼夕食とする。食後酒までしっかり飲み、会計して店を出たら、まだ空はかすかに明るい。