ふたたび、寝ても覚めても

昨日のことだが、濱口竜介寝ても覚めても」をDVDで再見。朝子は「どちらの男を選ぶか?」に悩んでいるのではなくて「ふたつの世界があって、元々私はどちら側に住んでいた人なのか?」に悩んでいる。まるで記憶を失った人のように。
停車した車の助手席で、眠っていた朝子は目覚める。窓の外は白み始めた空。そこはかつてボランティアに訪れたことのある被災地域の海辺だ。
この眠りから覚めた瞬間、今こそが「この世界」だったらしいのだ。それをついに思い出して、だからここで朝子は麦と別れる。麦は朝子を置いて、あっさりとその場を去っていく。思えば、麦が再登場して唐突な逃避行の始まりから仙台の浜辺で別れるまでは、まるで現実感がなく、その夜から朝にかけて見た、夢の中の出来事だったかのようだ。
朝子の目が覚めたとき、丁度あの時間、あの場所だった。そこまで来て、記憶がよみがえった。それより前でも後でもダメだった。なぜ、そこだったのか。少なくともそこから少し歩けば、交通費を借りることができるかもしれない、そのアテがあるからではないか?何事も、お金がなければはじまらないし、そもそも大阪に引っ越してすぐに、朝子は仕事を探すつもりだった。そんな朝子に亮平は「何にでもなったらいい」と答えたのだった。とにかく私の「この世界」をやり直すために、できることから始めないと、ダメ元でお願いしなければと、朝子は金を借りに、仲本工事の元へ向かう。そもそもこの場所は、私が必要とした場所だった、私が助けるのではなく私が助けてもらう、私を送り出してくれる、はじめからここが、そのための場所だった。
最後の亮平の「お前のことを信じない」というセリフが、ムージル「三人の女(トンカ)」の終盤の「彼」の言葉に重なってきて、何とも味わい深い思いがした。