未練

もう風邪は治ったのだけれども、時折喉が気になって咳がゴホゴホと続けて出るのが、いつまで経っても治らない。ある程度予想通りというか、年齢のせいかこういうのがなかなかしつこくて、完治するまでかなり時間が掛かる。

男性は過去の女性にいつまでも未練があって、女性は過去の男性にまったく未練がない、みたいな話をどこかで聞いたけれども、あれは本当のことなのか。まあこの手の男女一般括った傾向云々とやるのは、完全納得が不可能前提のゲームみたいな話ではあるが、まあ、そういうものだとして仮に男性が過去の女性に未練を感じやすいのだとしたら、それはその女性への未練というよりも、男が感じているのは自分自身の過去への未練ではないか。すなわち未練を感じる程度にはその男は過去の時間を自分主体で過ごしてきたと自ら感じていて、それなのに俺はなぜもっと上手くやれなかったのかと、その思いが特定の相手への未練に形をかえて、後悔と甘い感傷の混ざり合った思いに耽っているということだと思われる。

もし女性がそのような思いに囚われることが少ないということなら、それは女性が自分自身の過去を自分の思うように過ごしてきたわけではなく、そもそも時間は自分が主体的に扱って自分の思うように形成できるものではないという前提が、自らの内の認識としてあるからではないか。そしておそらくその前提の方が、もしかして現実把握として正確というか、より適当な落としどころに近いのかもしれない。だからふいに過去の自分が「若くて自由だったもう一人の私」みたいな幻想としてあらわれてこないし、その幻想が夢見る過去も生成されない。

くりかえすがこれは男女一般の各傾向に還元できる話ではなくて、男女問わず前者タイプも後者タイプもいるだろうけど、それでもやはり傾向というか話一般として「男」はバカで、この俺様の自由が大事で、実際そのように生きている実感を感じてしまえるのだと言うなら、そこに説得力がないとは言えない。

「だったら、女は過去をふりかえらないのか、昔をなつかしいと思わないのか?なつかしさを感じない生き物なのか?」そんなことはないだろう。たぶん、でも僕は女じゃないからわからない。男のなつかしさと女のなつかしさが、同じなつかしさという言葉で表現できるものではない可能性もあるかも、だとしたら…。そもそも性欲のありようが違うというのが…これは昔から気になっているのだけれども、性欲のありようの違いって凄く大きい違いと思うのだけれども。

この前「プライベート・ライアン」を観ていたとき、ライアン役のマット・デイモントム・ハンクスと対話してる場面があって、三人兄弟の末であるライアンは、別の場所に派兵された二人の兄がどちらも戦死したと知らされるのだが、その数日後に話をしている当該の時点では、いまだに二人の肉親を亡くした実感が沸かないのだと言う。そしておもむろに過去の思い出が語られ始めるのだが、ライアン兄弟がまだ実家にいた頃、兄が裏小屋かどこかで近所の(不細工な)女の子とコトに及ぼうとしているのを見て、もう一人の兄が「やめろ!自分を粗末にするな!」みたいなことを言ったと、そのときのことを思い出してライアンは笑いが止まらなくなって、呼吸が乱れて肩が揺れるのを抑えつつ、ひーひー言って笑いを堪えながらそのエピソードをトム・ハンクスに話す。それが、兄弟で揃って従軍する前週だか前々週だか、そのくらいの出来事だったと言う。

この場面を観ていたとき、ああ、と、個人的なある出来事を思い出して、かつて、思い出したことに耐え切れずにそのまま笑いが止まらなくなる人を、僕も見たことがあるなあと思った。人生で高校時代がいちばん楽しかったと常々言っていた人で、その高校時代のあるエピソードを僕に話していたとき、自分で話している内容の面白さに自分で耐えられえなくなってしまって、それで机に突っ伏したり身をよじったりしながら、ほぼ前後不覚に近いくらい笑いが止まらなくなってしまって、僕はそのとき最初は、かなり面白く聞いていたのだが、相手が崩壊した中盤以降は、正直けっこう引いてしまって、悶絶する相手を黙って見下ろしながら、ほぼ愛想笑いに近い表情になってたかもしれない。話の内容はたしかに面白かったけど、それは当事者にとって最強の話なんだろうなというのが伝わってきたという意味での面白さだったし、そもそもこれを書いてる現時点で、それがどんな話だったか忘れてしまった。

でも、ああやって笑いが止まらないのはやはり男だからなのか。「笑いが止まらない女」。そんな状態になる女っているのだろうか。女が想像する自分自身の過去、そのイメージへのまなざし。でも男同様、「後悔する女」は充分にありうるか、男女問わず、自己憐憫はある様式において想像可能。「涙が止まらない女」はたった今、この悲しみにくれているのであって、過去に泣いているのではない感じもある。男はそもそも妄想ばかりで、この現在を悲しんだり喜んだりするのが苦手、という感じもある。