母霊

大手町で降りて大手門から皇居内へ入る。やけに行列していると思ったら警官が手荷物検査しているのだ。それにしても外国人の多いこと。日本語の会話が聞こえてくる方が少ないくらいだ。天気は快晴で良好。新緑がキラキラと輝いているような偽の天国的な様相である。

その後、銀座の観世能楽堂へ。能の素人会に我が母親が舞囃子で出演するのを見物しに行く。

毎度思うけど、うちの母はいつから、ああいう人間になったのか、もしくは前からああいう人間だったのかなあと、不思議に思う。あんまり人前でああいうことをするタイプではなかった気もするのだが、いやそんなことないのか、むしろ、いろいろやるタイプなのか、昔から。僕が何も考えてないから気づいてないだけなのか。

以前も書いたことがあるが、僕は夢にうなされて、わっと叫び声をあげて目が覚めるみたいなことを、たまにする。数か月に一度か二度は、そうやって悪夢から目を覚ます。その悪夢というのは、大きく分けて二系統あって、一つは死んでしまう夢で、もう一つは幽霊に遭遇する夢だ。

で、今日みたいに、舞台で実の母親が舞いを始めるのを見るとき、僕はそのときに、どうしても「幽霊に遭遇する」瞬間をふと思い出してしまうのだ。

地謡と囃子をバックに、本当にあの母親の声か?と思うほど高く細い声が場内に聞こえるとき、なんというか、僕の中にある根源的な恐怖の源泉の部分にさざ波が立つ気がするというか、肉親の内側の一番核の部分に得体の知れない無機質な恐怖の本質が見いだされるというか、そうかもしかしたら幽霊とは母なのかもしれないなと、そんなことを納得させられるような気にもなるのだ。

母の舞台が終わって、そそくさと帰り支度をはじめる。このあと家元の出演するもっと観るべき価値の高い演目がこの後控えているにもかかわらずだ。いや、また改めて次回ということで。なにしろ今はいっこくもはやく早く酒を飲まなければと思っている。