清澄白河

久々に清澄白河へ。東京都現代美術館のリニューアル・オープン記念展「百年の編み手たち-流動する日本の近現代美術-」と「MOTコレクション ただいま / はじめまして」を観る。前回この美術館に来たのはいつだったろうかと思って自分のブログを調べたら、たぶん2013年だ。あれからもう、6年も経つのか。ちょっと信じられないな。

企画展はけっこう面白かった。個人的に印象に残ったのは中原實(1893~1990)と、桂ゆき(1913~1991)で、これらの作品がある程度まとまった展示数であることで、有名作品を時系列に並べるだけでなく近代美術史の百年あまりをあらわす一つの事例として、彼らの担った時間とその成果をもって語ろうとしているように感じられた。

中原實はまずシュルレアリズム風な20年代の初期作品がとてもよくて、有名な絵ではなくて小品に感じさせるつつましい上品さがとても好ましかったのだが、というか、他もそうなのだけれども、どうも近代日本は10年代~20年代の、少なくとも関東大震災以前の活動(恩地孝四郎村山知義など)が、どれも大変すばらしい水準で繰り広げられていて、この時点でもう充分に一国の近代美術が獲得した質として胸を張れるんじゃないかと思うくらいなのだが、しかし中原においてはその後の時代の変遷に伴って作風が変化していくところに、ある種の凄惨な過程をまざまざと見せつけられているような迫力があった。絵というのはとにかくどう転んでも区分けされたフレーム内の世界における出来事であって、それの良し悪しで物事を言わなければ仕方がないものではあるのだが、しかしこれらの作品群を観ていて、これは良いとかこれは悪いとか感じることにはたして如何ほどの意味があるのかとは思ってしまう。中原實という画家はとにかく言うまでもなく巧くて頭もいいことは間違いないと思うが、その人をしてこの模索、手のまさぐり、迷いを通じて制作をつづけたということの凄みに、そう簡単に感想を書くことがためらわれるのは自然なことではないかと。終戦直後に描かれた大作のある意味どうしようもなく説明的でありながら今はそのようにしか描けないという事態の深刻さを、他人事的にこれはつまらないと僕は思えるだろうか。関東大震災後はこれ、戦中はこれ、戦後はこれと、どうしても既視感のある流れ(ストーリー)のなかで、今回中原實の(少なくとも僕には)未見の作品群が多く展示されたことの意義は、その戸惑いに留まることにあるのではないかと思われた。

桂ゆきも、早くは30年代の作品から展示されている一方で50年代の作品も併せて紹介されることで、一人の画家が戦前から戦後をどのように制作し思考したのか、そのもう一つの過程として本展示においてクローズアップされているのだが、くりかえしになるがこれらの作品群をみて、あれは良いとかこれは良くないとか、あの画家は良かったけどこの画家はそうでもないとか、そういう感想を言って澄ましていられることの呑気さから距離を置きたくなる、そう感じざるを得ない。これほどの能力をもつ人々が、過去、自分に許された時間の中で心を尽くした結果がこれなのだと、その迫力にうたれるしかない。近くにやはりまとまって展示されていた朝倉摂にも感じさせられたが、日本の戦後、50年代というのはおそらく絵画も音楽も文学も同様な状態だったように思われるのだが、どうしても問いの立て方が図式的に過ぎるというか、当時はおそらくそのようにしかフレーミングできなかったし、そのようにしか起動できなかったのだと思われるのだが、しかしそれでもその型枠の窮屈さを補って凌駕してあまりある作家としての筆力があるので、ほとんど腕力だけで絵を唸らせて完結せしまてしまうパワーに満ちていて、やはりそこにはうたれるのだ。

僕が単に懐古趣味に過ぎるのかもしれないが、60年代以降はどうしても観る態度が変わってしまう。悪くないと思えるものもあるが、なかなか難しいものだなと思う。企画的に仕方なかったのかもしれないが、本展覧会では70年代以降の抽象系の仕事の紹介がかなり少なく「仮置き」「流動」なる言葉によって集められた作品群が終盤をかざる。その意味はわからなくもないのだが、僕など序盤の関東大震災後に描かれた藤牧義夫の墨田川沿岸を描いた絵巻を観ていたときに、ああ東京って別に今も昔もあんまり変わってないかも…とか異常にのんきなことを考えてしまったりもして、そういう意味では危機意識の欠如が甚だしいのは僕自身かもしれないが、あるいはいっそそのまま、30年代からやり直しでも構わないような気もするのだけれども、どうだろうか…まあ言うだけなら簡単なことか。

それにしても、昔から今に至るまで、長生きな人は長生きだけど、死んでしまう人はじつに早くに死んでしまうのだな…。コレクション展の方ははっきりと収蔵される作家の年代が今までと変わってきたなあという印象をもったけど、それにしても、20~30代で死ぬ人たち…。時代や環境のせいでもあるけど、実際それとは無関係に、どうしても人は、その時が来たらあらかじめそう決まっていたかのように死ぬのか。こうして作品を観ることが、なんだかお墓参りのような気分にもなる。