負ける

若いうちに、もっとたくさん、人に負ける経験をしておけば良かったなあと、いまさら思った。こう言うと今まで勝った経験しかないみたいだが、そんなはずがなくて、どちらの経験もごくわずかで、つまり今まで勝敗が決まるような場所をことごとく避けて通ってきただけだ。でも負けるというのは、やっぱりすごく大事なことだし、言ってみればこれ以上に明確な区分はないと納得できるような爽快さに満ちた、ある意味とても甘美な経験でもあるのではないかとも思う。それは過去から振り返るような上位視点で大した覚悟もなく簡単に言ってるだけなのかもしれないが。でも実力の差とか運の良さとか生まれや育ちの差とか理不尽な差別とか、なんでもいいけど、そういう事実に撃たれることで身体が知ることというのはやはり貴重だ。自分に勝った人がこちらを見る、こちらが相手を仰ぎ見る、その事実にうなだれる、あるいは憤りをおぼえる、あるいは深く悲しむ、いずれにせよそれがリアリティで、肯定や否定以前にある、何か妙になつかしいような、この私よりもはるかに巨大なこの世界の手触りだ。その経験なくしては虚構も生まれない。可能性としてのイメージをいくつも生み出す力の元にならない。じつにあたりまえのことだが。