ハシビロ

一昨日から昨日に至る暴飲暴食の反動が今朝来ていた。どろっと身体全体がだるかった。天気も悪いし、とくに予定もないし、まあ散歩がてら、久々に上野動物園にでも行くか、ハシビロの様子でも見に行くかということになって出掛ける。池之端門から入園すると、天候が悪いせいか来園客も少なくて、動物を観察するには大変好ましいコンディションだった(パンダ客の行列だけは別)。ハシビロコウは最初地面にべったりと座っていたけど、後で立ち上がって、のっそりと歩いて屋内へ移動し、照明器具の真下に突っ立って、ぼーっと虚空を見つめて、時折ぶるっと身体を揺すって羽根の間に嘴を差し込んで、また正面を見て、そのままじーっと身動きせず凝固している。ハシビロコウの様子を見ているのは、面白いことは面白いのだが、じつはハシビロコウを見ている人間たちの様子や会話を聞いているのも、それと同じくらい面白い。みんな、ハシビロコウが作り出す独特の時間の流れ方に対して、様々な違和感を感じていて、その動物の「動く/動かない」的な通り一遍の知識では計り知れない異様な時間感覚に直接ふれて、その寄る辺なさを確かめ合うような会話をし始める。笑いに捉えるのか、感情移入先に捉えるのか、目の前の存在をどう解釈するのか、そもそもこの沈黙する動物に意識はあるのか、考えがあるのか、もしくは植物や鉱物のように、まるで何も考えてない、そんなものを見つめる態度がじつは適切なのか、それでも捕食や排泄をして、身体を清潔に保ち、より快適な場所を探して移動しているのであれば、それは意識による考えにほかならないはずだが、そう思うこの私の想像のかたちそのものが根本的に間違っているのか…。

二人の会話同士が手さぐりしている。それでもけっこう長い時間その動物を見つめている親子や女性の二人組がいる。彼ら彼女らに、何が見えているのだろうと思う。ハシビロコウはひたすら黙っている。