骨と肌と目

"Coyote"を歌うジョニ・ミッチェル。あなたと私との問題について、私はもうわかってる、すでに悟った、という視点からこの歌は歌われている、歌の内容というよりも、ものの言い方でそう感じる。「No regrets Coyote」(後悔しないで)と相手に諭すように、何度でも言うことからもそれは感じられる。こんな考え方にまで私は来ることができたから、貴方と別れる決心も付いたのよと。最初は相手を見つめながら歌っていて、やがて視線は移り、自分で自分に言い聞かせるような表情に変わっていく、その表情まで見えるかのようだ。

ジョニ・ミッチェルという人はおそらく、実際に恋愛の渦中にあっても、その体験をほぼ同時に、詩と歌に生成変化させてしまう、それをせずにはいられないような人であろう。すなわち実際の恋愛と架空の恋愛を同時に進行させるのが当たり前の人であるのだろう。ともすれば実際の恋愛を架空の恋愛と意図的に混同して、そのことで軋轢を生じさせて、両方のストーリーの活性化を平然と試みたりもするのだろう。ふたつの恋愛、それは実際の相手と実際の私がつくるものであると同時に、架空の相手と架空の私がつくるものでもある。あなたと私の出来事の中には、おそろしく個人的なものと、おそろしく汎用的なものが混ざり合っている。

"Coyote"の冒頭の下記の部分が、僕は何度聴いてもとても好きで、とくに"Just How close to the bone and the skin and the eyes"と畳み掛けるように歌う部分がとても好きだ。はあ、きっとこの二人、仲良かったときは、そんな風に何度も、しはったんやろうなあ、それでもわかりあえへん、なんにもならへん、意味ないし、つらいし、もうええわって、別れはったんやなあ…と、でもすでに、もう半笑いの自嘲気味に、そのことを歌えるくらいには、いくぶんかは心が晴れている。

There's no comprehending
理解にはいたらない
Just How close to the bone and the skin and the eyes
どれだけ骨をぶつけ、肌を重ね、目を合わせても
And the lips you can get
唇を奪えても
And still feel so alone
やっぱり孤独だし
And still feel relay
やっぱりつながってもいる