文子

仰向けに寝転んで、本を読んでいるうちに、日が暮れてくる。甚だ勿体無い休日の過ごし方ではあるが、外は灼熱地獄であり、さすがにこれでは外出するわけにも行かず近所への買い物がせいいっぱいで、後は家の中でこうでもしているより他になすすべないと思うのだがどうか。というか、ある意味これ以上贅沢な時間の使い方もないとも云えるが如何なものか。幸田文の素晴らしすぎる連作「栗いくつ」を読み終わってしまって、さあそのあとは、どうしよう、正直まだ、この語り手の傍にいたい、この声でこの言い方で、ずっと語られていたい、はなれがたいのである。正直、父親を語る幸田文は、やや重い、というよりも、テーマが父だと完全な回想視点、まるでリアルな夢に潜るかのように過去のディテールへの遡行を止めない機械へと変貌する。お父さんが好き過ぎで、そのときの時空すべてを好き過ぎで、まるで涙のようにいくらでも出来事が思い出されて、だからいつものこざっぱり感はやや後退して、それでも読み始めたら、やはり魅了される。ああ…これだよこれ。空襲で今にも家が焼け落ちるかもしれない瞬間に、こんな会話している親子がどこの世界にいますか、思わず喉元からこみ上げる熱いものを抑えるのにせいいっぱい。

 

 

誰にしても素掘りの壕や押入を鉄壁と頼むわけのものでもないが、八十に近い人といえば常不断でも何か覆う物が欲しい気がするではないか。常識といわれる程度のあれこれの支度が、次々とせわしく思いめぐらされた。それに人手はまったく無かった。声をかければ或は得られる人手かも知れないが、非常時ゆえなお他人をわずらわせることをしまいと、ほんとに親一人子一人でいる。頼る者のないことは勇気を生じさせるが、又一方些末なことにまで分担を許されなかった。私は防護団に叱り飛ばされながら、筵に水を打ったりせねばならなかった。マリヤとマルタの話が心に痛く思い出された。それもこれも僅かの間のこと、B29の爆音と続いて起った破壊の轟音は、容赦無く処置の決定を迫った。未知の予期された危険に対する興奮が、私を駆り立てた。すでに書物を疎開して、荒涼たる部屋に、むきだしに一人すわった父は傷ましく、せめて押入にでも庇いたくて、ろ骨にいやな顔をするのを頼んだ。

 

「これがおまえ流の安全か」と皮肉り、「私は年寄だ、おまえの指図に従うが至当だろう。一ト言云っておく、私に強いたようにおまえ自身にも強いるだろうね。」ことばは穏やかだったが、面をあげていられぬような怒りを受取った。入口を布団で塞ぎ、その前にすわって、さて寂しかった。何がいけなかったのだろう。押入がいやならいやと云えば済むこと、指図も何も無い。強いるといったとて手に取ってするわけじゃなし、今だって常に絶対(傍点)であった父だ。要するに空襲下に端座する父を平然と見ていられないところがポイントであるとも思えた。いつも愛情をいうものをあんなに悦びとうとぶ人が、今この際に古筵一枚でも庇いにしたい子の情を、なんでかほどまでに拒絶するのか。ではこれは嫂妾の愛というものなのか、或は不謙遜にも当るものだったろうか。猛火の図が思い出され、発狂ということばがよみがえった。ど、どっというような音響が起り、あたりは揺れた。防護団が出勤々々と叫んでいる。不安と恐怖でこらえきれず、「おとうさん」と呼んだ。

 

咎めが槍のように飛んで、「馬鹿め、そんな処にいて。云っておいたじゃないか、どこへでも行ってろ。」張りつめた神経は自ら支えることを失って、「このさなかにおとうさんのそばを離れられない、どこへ行くのもいやです、行きたかありません。」一トたびことばを返しては、われからずんと据わるものがあった。「行きたいんじゃない、行けと云うのだ。」「いやです。」「強情っ張りな、貴様がそこにいて何の足しになる。」「どうでもいいんです。おとうさんが殺されるなら文子も一緒の方がいいんです。どこの子だって親と一緒にいたいんです。」「いかん、許さん。一と二は違う、粗末は許さん。」「いいえ大事だからです。」「それが違う。おれが死んだら死んだとだけ思え、念仏一遍それで終る。」「いやです、そんなの文子できません。」「できなくてもそうしかならない。」「では、おとうさんは文子の死ぬのを見ていられますか。」片明りに見る父の顔は、ちょっと崩れて云った、ーーー「かまわん、それだけのことさ。」

ちいさい時から人も云う、愛されざるの子、不肖の子の長い思いは沸き立った。「それでは文子は何ですか。」「子さ。」「子とは何ですか。」「エエケチなこと云うな、情とは別のものだわ」と怒声であった。「それじゃ文子のこのおとうさんを思う心はどうしますか。」「それでいいのだ。」「あんまり悲しい。」「悲しいのははじめからきまってる。」ーーー鼻の芯が痛く話は終わった。云いたくて云えないものが、いしかっていたが、涙が塞いでいる。水道は出なかった。勝手の柱によりかかって、云われたことを反芻した。(終焉)