ゆとり

水泳して帰宅、電車の中ではさほど疲れてないと思っていたが、駅から歩いているときに思いのほか全身に澱をまとったような心身状態で、項垂れたような歩き方になっていた。蒸し暑さがなおさら堪えた。酒屋に寄って酒を買うとき、カウンターで店主と喋っている女性がいて、その女性が僕に気付いて、あらごめんなさいと言って会計の場所を空けた。話好きの客が多い店なのでそういうことはよくあることで、僕もいつものように、いいえ、すいませんと応えたのだが、その言い方が自分でも意外なほど抑揚がないというかつっけんどんというか、なにしろちょっと機嫌悪いですか?(いいえそんなつもりじゃないです)・・・みたいな態度になってしまっているように思われて、それでもそう思っている自分に相変わらず纏いついてる疲労感はいかんともしがたく、やれやれ疲労というもののもたらす弊害、ゆとりをなくすというのは、まさにこれだな、困ったことだ、何を差し置いても、自分の心身の余裕確保というのを最優先すべきかもしれない、それができるうちはそうすべきだろうな、そうじゃないと自分も周囲もみんな幸せから遠のく。しかしそれさえ出来なくなる、そんな余裕さえ失くしていく可能性もあるのだろうか、そうかもしれないな、となると、ますます道は険しく厳しいのかもしれないな、と思う。